15年ほど前、ちょうどSFCが生まれる少し前、アメリカに留学しました。今では、日本でもいくつかコミュニケーション論(コミュニケーション学)専攻のプログラムが設置されていますが、当時はもっぱらマス・コミュニケーション研究(新聞学研究)や実験系(社会心理学系)のコミュニケーション論であったり、既存の学部(研究科)でコミュニケーションを専攻するというかたちしか現実的ではありませんでした。やはりコミュニケーション論やメディア論について、もう少し広い観点から学びたくて、アメリカをえらびました。
願書を提出し、いくつかの大学から入学許可を得たのですが、なんとなく東海岸に行きたかったこと、奨学金をもらえたこと、そして、かつて恩師もいたことなどもあって、University of Pennsylvaniaに行くことにしました。行き先は、留学が決まった時点では、Annenberg School of Communicationでしたが、入学した年から、Annenberg School for Communicationに名称が変更されました。ちょうど、プログラムのディーン(日本でいう研究科長にあたるポジションです)が変わったところで、そのマニフェストだったとも言えるでしょう。その当時は、“of”から“for”に変更することの意味を良く理解することができませんでした。留学の準備をしていたときに目にしたのは、すべて“School of ...”であったり、“Department of ...”でした。乏しい英語力ながらも、“School for ...”という言いかたは、なんだかしっくり来ませんでした。一緒に話を聞いていたアメリカ人のクラスメイトたちも、まさにそのマニフェストの直後に、何やらサワザワとしていた記憶があります。
しかしながら、ようやく最近になって、この名称の変更がかなり思い切ったマニフェストであったことを実感できるようになりました。そして、これを15年前にすでにアピールしていたことも、やはり評価するべきなのだと思います。つまり、“of”で語られるときは、コミュニケーションは対象化されていることが明確で、コミュニケーション「の」調査・研究をすすめるということが強調されます。その一方で、“for”で語られるときは、コミュニケーションという研究対象自体が、コミュニケーションという活動によって成り立っているという点に、あらためて気づかされることになります。つまり、School for Communicationは、「コミュニケーションのための」プログラムだという立場表明だったのでしょう。とりわけ、コミュニケーションがさまざまな人間行動や社会生活に不可欠な構成要素だと考えるならば、School for Communicationという名称は、さらに広い意味で、School for Societyとも言うべきメッセージ性を持つことになります。調査・研究の成果を世に問い、さらには社会を変えてゆくという意気込みのようなものが感じられます。
さて、このカテゴリーでは、最近の葛飾柴又でのフィールド調査をふくめ、2002年の春からすすめてきたカメラ付きケータイを用いた社会調査について紹介していくつもりです。まずは、ケータイ・ラボラトリ(2004年4月開設)におけるじぶんの活動について、宣言しておきます。やはり、“Studies of mobile phones”ではなく、“Studies for mobile phones”を大きなテーマに掲げて、調査・研究をすすめることを目指したいと思います。ケータイが社会に対していかなる影響を与えうるのか、実践をともなうかたちで調査・研究をすすめ、できるかぎり成果を“世に問う”ということです。それは、学会発表や論文を書くことだけではなく、やはり社会を変えてゆくような調査・研究を志すということです(その時点で、調査・研究という言いかたは必要なくなるかもしれません)。たとえスケールは小さくとも、できるかぎり具体的な〈現場〉を志向し、そこでの人間関係の形成・維持という問題に向き合いながら、ケータイについて考えます。詳細は別の機会に譲りますが、たとえば「考現学」や「生活学」的な観察と詳細な記述へのこだわり、そして「ふだん記運動」などのリテラシーの問題も重視することになります。
ここで注意が必要なのは、“Studies for mobile phones”と言うとき、狭い意味での「ケータイのために」ではないという点です。もちろん、ケータイは調査・研究の対象であり、ケータイをめぐるさまざまな課題について議論していくことになります。しかしながら、ここで“for”を強調するのは、そもそもケータイは、ぼくたちのコミュニケーション欲求と切り離して考えることはできないという理解からです。つまり、ケータイが使われる(あるいは使われない)状況そのものが、コミュニケーションの〈現場〉として興味ぶかいのです。繊細かつ複雑なコミュニケーション状況を実現するメディアとしてケータイがあり、そのケータイが使われる社会的・文化的文脈について、あたらしい理解の創造を試みる…。“Studies for mobile phones”は、結局のところ、“Studies for communication”であり、それは社会的なメッセージ性を持つべきものとして展開されるのです。
●「ケータイでまちをつくる」は、ケータイラボラトリでの活動の一環として書く予定です。おなじ記事は、ケータイラボラトリのサイトにも掲載されます。