2005年08月01日

04 経験をサンプリングする

前稿でも紹介したとおり、近年、マーケティング調査を中心に、“モバイルリサーチ”が注目されています。被験者の時間的・心理的負担を軽減し、さらに、人びとの日常生活へのアクセスを容易にする方法としてさまざまな可能性があるはずです。しかしながら、「調査」という特殊な時間・空間をできるかぎり拡張し、人びとの日常的な行動軌跡や生活の諸側面を観察・記録しようという試みは、とくにあたらしいものではありません。たとえば数十年ほど時間を巻き戻してみると、「Optimal Experience」や「Flow」というコンセプトで知られるチクセントミハイ(Csikszentmihalyi)[1] [2] が考案した「経験サンプリング(Experience Sampling Method: ESM)」という手法は、“モバイルリサーチ”の先駆的な試みとして理解することができるでしょう。
ESMは、人びとの日常生活 --- つまり「調査」としてつくられる非日常ではない、ふだんの生活体験 --- をできるかぎり詳細に継続的に記録するために考案された方法です。被験者(=というより、調査協力者のほうが適切ですが)はビーパー(ポケベル)と調査票を渡され、それを四六時中携行するように指示されます。調査対象や目的によってバリエーションはあるのですが、ランダムにビーパーが鳴らされ、そのたびに調査票の設問に回答するのです。人びとにとっての“没入感”が、どのような状況(時間・場所・アクティビティ)で実現されているのかを知ることがチクセントミハイの主要なテーマでした。この方法をつうじて人びとの生活を記録し、何かに夢中になっている状況においては、人びとのスキルとタスクの難易度とのバランスが重要であるという「Flow」のコンセプトが導かれます。

留学先には、チクセントミハイの“弟子スジ”の先生が数人いました(たとえば [3])。おそらくはシカゴ大学の「つながり」だと思うのですが、ひとりは、マスコミ研究の領域で、たとえばテレビの視聴行動の調査、もう少し広い意味では、メディア接触に関する調査にESMを活用していました。大学院生だった当時、ESM調査の協力者を募集していたことを記憶しています。面白そうだな、と思ったのですが、大学院生どうしのウワサ話で、あれは大変だからやめておいたほうがいい…と言われて見送りました。いま思うと、一度くらいESMの被験者を体験しておけば良かったのですが、たしかに、ビーパー(ポケベル)と調査票をいつでもどこでも持ち歩き、合図のたびに必要事項を記入するというのはかなりの負担です。また、ビーパーが鳴ること自体は、じつは“没入感”に介入することになるので、無心になって何かを愉しんでいる状況が干渉されることになります。カメラ付きケータイを使う場合でも、「調査」の一環として撮影を依頼する以上、多少なりとも人びとの生活に干渉せざるをえないのでしょう。

ところで、ESMで際立つのは、調査期間中、恒常的に人びとのふるまいをモニタリングするという点です。くわしくはつぎのエントリーで紹介しますが、2002年の冬、カメラ付きケータイをもちいてESM的な調査を試験的におこないました。その際には、調査協力者のケータイに定期的に合図のメールを送り、そのたびにケータイのカメラで目の前にあるモノ・コトを写すように依頼しました。このときは、朝から夜まで、時間軸に沿って順番に写真を並べることで、人びとの行動軌跡を復元することに関心がありました。何人かに協力してもらったので、活動範囲やある場所での滞留(滞在)時間などを比較することができました。
今年の春学期に開講した「フィールドワーク法」では、同時に撮るという点を強調した実習課題を出しました。下の写真はその抜粋ですが、朝・昼・晩、の3つの時点で合図のメールを送りました。素朴な方法ではあるものの、協力者をさがし、カメラ付きケータイを活用することで、ほぼおなじタイミングで何枚もの写真を撮ることができます。たとえばおなじ朝が、いくつものスタイルで、撮影者の数だけ存在することがわかります。あるひとがコーヒーカップをかたむけているとき、テレビを見ているひともいれば、駅で電車を待っているひともいます。ひとりひとりの生活の流れが、ときには誰かの時間・場所と交錯し、あるいはまったく交わることなく軌跡をつくるのです。

朝:morning.jpg

昼:day.jpg

夜:night.jpg

言うまでもなく、ESMのような試みは、技術(メディア)の発展や普及と密接に関連しています。たとえば恒常的にモニタリングすることによって、時間的な変化を追うことが可能になります。また、メールの同報性を活用して、調査者の眼をいくつも偏在させることもできます。将来的には環境に埋め込まれた情報と、ケータイとがリンクすることによって不可避的にデータが収集されることになるかもしれません。その時には、もはや[調査者=調査協力者]という関係性も消失することになるでしょう。いずれにせよ、カメラ付きケータイは、人びとの経験をサンプリングするための“装備”として、すでにわたしたちの手にあるのです。

●参考
[1] M. チクセントミハイ (2001)『楽しみの社会学』(新思索社)
[2] M. チクセントミハイ (1996)『フロー体験:喜びの現象学』(世界思想社)
[3] Kubey, R. and Csikszentmihalyi, M. (1990) Television and the Quality of Life: How Viewing Shapes Everyday Experiences (Communication Series). Lawrence Erlbaum.

●「ケータイでまちをつくる」は、ケータイラボラトリでの活動の一環として書く予定です。おなじ記事は、ケータイラボラトリのサイトにも掲載されます。

Posted by fk at 2005年08月01日 19:18
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