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境界線=BORDER ll(井野薫)

フィールドを歩いていると‘境界線’のことばかり考えてしまう。
まちは色々なもので溢れていて目に留まるものは沢山あるはずなのに、 ついつい歩きながら直感で気づく‘何か’に私は強く惹かれてしまうのです。
それこそが私の原点でありテーマでもある‘境界線’。

まっすぐな道を、ゆっくりと歩く。
しばらく行くと、やがて辺りが暗くなってきたり、そうかと思えば 突然明るくなったりします。五感を張り巡らせていくほど、 あたかもそこには目に見えない空間の境目があるかのように、 道の表情が次々と変化してゆくのです。 それは道に限らず、室内でも同じ事が起きます。 例えば、電車に乗った瞬間、あるいはカフェに入った瞬間。 その場にある空間の境目を無意識のうちに感じ取り、 その中で自分のスペースを見つけて、そこへ向かう。 あなたにも、そんな経験がきっとあるはず。

きっとどんな場所にも境目は存在するのでしょう。 そして、この境目は感じ取る人の数だけ存在するのかもしれません。 少なくとも、私が感じる‘境界線’は私自身にしか見えないのだと思います。


Thank you, dear...(岩上有希)

心理学者マズローによると、人には所属の欲求があるといいます。私は大学一年生の時、人には包まれたい欲があるのではないかと思いました。抱きしめてもらいたい気持ちや、暖かいものに入りたい気持ち。人の行動の随所にその気持ちは現れていると思います。

私は自分が一人のように感じていた時、タッチフットサークルKEIO BREAKSというチームに出会いました。みんなの笑顔に包まれた時、私は何よりの喜びを感じました。目標を達成するため、約20人のメンバーが週4回、朝8時半にグラウンドに集合する。練習の場以外でも、いつも誰かの笑顔に会える。それが当たり前の日々でした。

2005年12月3日、9人の四年生が引退の時を迎えました。BREAKSというチームはずっと続いていく。しかし年々メンバーは変わり、チームは変化を続けていきます。確実に今のBREAKSはなくなってしまう。その前に、残したい、私ができる方法で、記録したい。その思いで9人の一日に密着してきました。

この作品で、BREAKSという最高のチームと出会えた感謝の気持ちを表したい。同時に私が感じた、チームに "包まれる" ような感覚を少しでも感じていただければ、これ以上の喜びはありません。


まちギャラリー <らくがき展>(奥麻実子)

会場のそばのスーパーの壁は、ちょっとしたらくがきギャラリーになっています。そこに描かれているたくさんのらくがきは、どれも同じように見えるかもし れませんが、ひとつひとつをよく見てみると、それぞれ別の形をしていることがわかります。また逆に、さらにまちのあちこちを見て回ると、いろいろなとこ ろに同じ形のらくがきが描かれていることにも気が付きます。そんな中から、わたしは、あるひとつのらくがきに目をつけました。

特定のらくがきを探しながら歩いていると、まちの見方や見え方が、ちょっと変わってきます。いつもはおしゃれなお店ばかりを見ていたのが、お店とお店の 隙き間の壁へと目がいくようになります。看板があると、その裏をのぞいてみたくなります。そしてそこで探していた落書きに出会うと、ちょっと(とって も)嬉しくなるのです。

会場での展示スペースはあるものの、わたしの展示は、まちの中がメインです。展示物を鑑賞するように、まちを眺めてみてください。出発点は、例のらくが きギャラリーです。


私たちの金沢(金島利明)

2005年12月16日〜18日。
私たち23人のメンバーは大雪の金沢に赴き、それぞれ街を歩きました。
そして、4300枚もの携帯写真をはじめとした、3日間の記録が、今ここにあります。

当たり前のことですが、私たちは1人1人違う人生を歩んできた人間です。そんな23人ですから、目で見て、耳で聞いて、肌で感じた金沢の姿が、1つの街でありながら異なるのも無理はありません。帰宅後に描いてもらった金沢のメンタルマップ(認知地図)も、同じものは2つと無い、個性溢れるものばかりでした。今、そうした頭の中にしまわれていたものを、取り出して覗いてみたいという欲求に駆られています。

みんなが記録したものと、2,3人しか記録しなかったもの。
ある方法では記録され、他の方法では記録されなかったもの。
正しく記録されたものと、間違って記録されたもの。

例えば、この様ないろいろな記録の共通点やズレに注目していきます。それを地図に落とし込んでいくことを糸口として、私たちの頭の中に存在する金沢を紐解いてみたいと思います。

私たちにとっての金沢という街を、ひいては私たち自身についてを、ぜひとも感じとってください。


展示方法を展示する(鎌田朋子)

この展示会場の中に、私の作品はありません。
この展示会場そのものが、私の作品なのです。

人間には、自宅でもなく職場・学校でもない第三の場に対する欲求がある、と言われています。リフレッシュしたいとき、落ち着いてひとりで考え事や勉強をしたいとき、気軽に立ち寄れる。友達が居ればおしゃべりをして、ゆっくり寛げる場所。そういう場所が、私たちには時々必要です。

どのような場所に、人は長時間滞在してしまうのか、逆にどういう工夫をすれば、心地よく過ごせるのか。「パブリックな領域における居心地の良さ」、これが私のテーマです。
喫茶店、古本屋、ワークショップ・・・あらゆる場所を訪れて、「居心地よさの要素」を探索しました。例えば、靴を脱ぐことができる・落ち着いた照明・懐かしいインテリア・・・など、様々な心地よさの秘訣を拾い集めることが出来ました。
今回の展示では、それを自分の手で実行します。
そして、白い壁に作品が並ぶようなお決まりの展示方法ではなく、私たちのフィール ドワークはこれからも続く、という意味をこめて作業中の工房をイメージして空間作 りを行いました。


老舗鰻屋〔音〕模様(菅紘子)

老舗鰻屋の店頭で、ひたすら〔音〕を採集しました。

この鰻屋との出会いは約8ヶ月前、アルバイトがきっかけでした。
そこではいつもお馴染みの社長が鰻を焼いていて、次々と顔を出すお客さんとは「いつものある?」「はい毎度!今焼きます。」「6時頃旦那が取りに来ますから。」「あ、出前のついでに届けますよ!」といったやりとりがありました。

一昔前にはよくある光景だったのかもしれません。
けれど私にはそれが、衝撃であり小さな感動でした。コンビニやスーパーが台頭する現代に失われつつある大切な「何か」を感じたか らです。

その「何か」をよく知りたくて、私は〔音〕を採集しました。
【〔音〕を採集すること=目に見えないものを見ること】
団扇、炭、水、通りの音…その場特有の音からは、その場所らしさが見えてきます。
店頭の会話からは、その場所での"人―人"更には"人―地域"のつながりが見えてきます。
こうして見えてくるものの中に、その「何か」を知るヒントがあると思うのです。

このような商店の減少と共にこの「何か」も姿を消していきます。
だから今、〔音〕模様からこの「何か」に目を向けていこうと思います。


マチアワセ生態図鑑(小泉健二)

「ハチ公前で8時に待ってる。」
「横浜駅の改札前で7時にお待ちしております。」

待ち合わせ場所には、日々多くの人が集まります。そしてそこで誰かを待ち、その誰かが無事に現れると、街へと散らばっていきます。遠目で見ると、その様子は誰もが同じように動いているように見えるかもしれません。

しかし実際は一人一人が自分の人生を生きていて、違う思いで違う誰かを待っています。 その誰かは特別な人であるかもしれないし、初めて会う人かもしれません。 大小の違いはあるけれど、待ち合わせの数だけ物語があるのです。

今回私が試みたのは、待ち合わせ人のふるまいを改めて観察することによって、 その物語の片鱗を読み取ることです。 待っている時のしぐさや表情、待ち人が到着した時の反応など ミクロなふるまいを記録し、待ち合わせ場所の実態を明らかにします。

斜から眺めるというよりも、一緒に待ってみる。 そうすることでよりリアリティのある描写ができればと思います。


シワザマニア(斎藤卓也)

ぼくは一度しか海外に行ったことがないのですが、それが南仏のコートダジュールでした。ニースに2週間滞在して、ある日電車でモナコにいったとき、そのきれいさに驚かされました。そのきれいさはまち並みの美しさという意味だけではありません。モナコはそれ以上に、本当にちり一つも落ちていない、異常に清潔なまちだったのです。それはある種不気味な風景でした。家に帰ってホストマザーにモナコに行ったことを告げると、彼女はモナコが嫌いだと言いました。彼女が言った言葉は「il n'y a pas de personne(そこには人間がいない)」でした。

ぼくは東京の下町育ちですから、むしろ煩雑なところで育ったほうだと言えます。そこには子供が喜びそうな隠れ家や遊び道具が路上にたくさん転がっていました。放置されたゴミ、修理した看板、曲がったカラーコーン…そしていつしか、ぼくはそのようなところにこそ美しさを感じるようになりました。それはときに不細工な形をしています。しかし、誰かがやった、誰かの「シワザ」にこそ、人間の営みが見え、近くに感じられます。それは、ぼくのまち歩きでの大きな楽しみの一つです。

東京にはまだまだその風景が残っています。今回の展示では、それらを集め、より細かく見ていきます。


自転車マニア(鹿野枝里子)

自転車マニアになろうと決めました。

自転車について詳しいわけではありません。まして、普段自転車に乗ることすらほとんどありません。それなのに、まちを歩くと自転車が気になって仕方がないのです。まちの中に埋め込まれた、ある誰かの所有物。それが、誰にでも見える形で公開されていて、まちの風景の一部を作り上げているのです。そして、それはひとの手によって移動と集合が繰り返され、風景に変化を与え続けます。

自転車をじっくり眺めながらまちを歩いていると、持ち主の個性が色濃く出た自転車に出会うことがあります。自転車が持ち主を選ぶことはできません。持ち主のセンスと愛情で、その自転車の運命は決まってしまうのです。同じ「自転車」という名前を持つものが、「乗り物」になるか「物干し竿」になるかは持ち主次第。マニアをうならせる大物に出会ったとき、私の頭はクラクラするような感覚に襲われます。自転車マニアのフィールドワークは、自転車がある限りまだまだ終わりそうにありません。自転車から、ひとへ、まちへ、連想を広げてみようと思っています。


携帯写真 −3年間の記録−(張紗智)

2003年春、私が加藤文俊研究会に入ってからずっと続けてきたことがあります。
それは「ケータイで日常生活を記録する」ことです。

スタンスは撮りたい時に、撮りたいモノを、撮る。
この気楽なスタンスと、ケータイという気軽なツールのおかげで、とりあえず3年続けることができました。
普段の何気ない一瞬も、滅多に見られない特別な一瞬も、全て同じ一枚として、私自身の生活記録(ライフストーリー)として、ここに広がっています。

しかしこの作品は、私だけの記録にとどまらず、見て下さる方々の生活記録としても共有できます。
更には、私たちが生きている今この時を記憶する手段にもなり得るのだと思います。

3年続けてきましたが、未だ達成感はありません。しかしこの活動が生活の一部になったことは確かです。
生きている限り、この活動を続けたい、少しずつ変化する日常を残し積み重ねていきたい、と思います。


any sides of the same one(中村瞬)

イス × フィールドワーク。

今回のフィールドワーク展でイスを作ります。一見何の関係もありそうにないこ のふたつの言葉をつなぐキーワードは“ウラ”です。まちを彷徨うと、そこにはい ろんなウラがありました。グラフィティアートでいっぱいのウラ・作り手の意匠 を伝えるウラ・そもそもウラもオモテも同じ顔のもの。結局、誰が見るか・どう 見るかで、ウラはオモテで、オモテはウラでした。

2005年秋学期。vanoticaのみんなでイスを作りました。それが、この展示会場に 散らばるイスたちです。コンセプトを決め、デザインを決め、実際に手を動かし てビスを打つ。モノにはいくつものヒストリーが存在することを強く実感しまし た。今回は、ぼくがフィールドから得た意匠を詰め込み、あたらしいヒストリー を綴ります。

ウラかオモテか、前か後ろか。このイスにそんなことは関係ありません。誰かに とってウラだった面があなたにとってのオモテになるかもしれません。ウラ返し てみることで別の機能に気付くかもしれません。

ぜひ、一度腰を下ろしてみてください。そして、いろんな方向にウラ返してみて ください。


いま だから オーマ(バーゲル・ルミ)

前川富代。わたしの祖母。愛称オーマ。83歳。大分市内在住。戌年、O 型。
一日一日を丁寧に、大切に。すべてのものに感謝し生きる、前向きに。

オーマといるとわたしの心は洗われる。
忘れていた大切なことが思い出される。
自分がどれだけ甘いか気づかされる。

60を超えて一念発起。百人一首すべてを暗記してしまうオーマの根性。
あきらめないで最後まで信念を貫き通す。大正生まれの意地だろうか。

わずか10歳にして両親を亡くし、親戚の家を転々と移り住む。自分の家もなく、ひたすら働き続けた娘時代。
想像もつかないほど深い孤独との苦しい闘い。

凄まじい忍耐力と底抜けの明るさで乗り越えてきた困難の数々。
持ち前のユーモアとマイペースさで生み出してきた笑顔の数々。

オーマのたくましさを残したい。オーマの愛しさを残したい。
いま、ありのまま、ここに、残したい。

孫である立場を生かし、ひとりの調査者として前川富代という人物を捉える。
残さないと消えてしまう、大きな価値がある。
伝えないと忘れてしまう、メッセージがある。
だからいま、わたしはオーマを語りたい。


ものさしズ(原田佳南子)

長さ、太さ、重さ、広さ、高さ、大きさ、速さ、距離、時間、体積、容積、質量、密度、濃度、
温度、湿度、気圧、降水量、照度、周波数、振動数、心拍数、運動量、仕事量、お金・・・etc.
私たちはいろいろなものをはかります。比べます。

心地よさ、気楽さ、偉さ、美しさ、嬉しい、悲しい、痛み、疲れ、頑張り、やる気、気合い、緊張、愛情、信頼、満足、幸せ、
心の広さ、人としての大きさ、人との距離感、どきどき、わくわく、ぴりぴり、そわそわ、くたくた、ぎくしゃく・・・etc.
その一方でそう簡単にはかることのできないものがたくさんあります。比べる基準が難しいモノ・コトです。

「はかれないものをはかる」そんな<新しいものさし>を作ってみたいな、と思いました。
まずは、いろいろな方法を利用して「とにかくはかる」ことから始めます。
歩いて、スキップして、犬で、アリで、ダニで、たいやきで、ラーメンで、ゴミで、音で、温度で、気分で。
いつもと違うはかり方をすることで、「はかれないものをはかる」方法を見つけていこうと思うのです。


カオマニア(松谷乃里子)

――幼い頃、車の後部座席から眺める景色には、前にも後ろにも大きなカオがありました。いつもどこでも、誰かがいるような気がしながら過ごしてきました。

街には大小様々なカオが潜んでいます。大きく口を開けて人を飲み込むゲート、すました街灯、目の離れた路上駐車のトラック…いつもの街並みを少し意識 して見てみるだけで、日常の見慣れた風景の中にいくつものカオを見つけることができます。どんな小さなところにも誰かがいて、その姿を見つけた時には、 見つめられているような不思議な感覚を覚えるでしょう。

わたしは東京の顔の輪郭ともいえる山手線で、カオを探し集めました。昔から気になり続けた彼らの存在に、改めて自分から会いにゆくことで、次第にどん なところにいても見つけ出したいカオマニアとなりました。だからこそ、わたしのコレクションともいえる彼らを見せたく、日常に必ずいる彼らに気付いて欲 しいと思います。そして、自らの意思で歩きだすことのできない彼らに、少しでも違う世界をみせてあげたいと思います。




〈場〉のチカラ プロジェクト/慶應義塾大学環境情報学部 加藤文俊研究室