引っ越しの準備 ::: はじめに

はじめに

加藤文俊

ゼミのための「場所」

2003年の春から「場のチカラ」をテーマに、「ゼミ(研究会)」を開講してきた。そもそもの関心は、人びとにとって「居心地のいい場所(グッドプレイス)」とは何かを考えることにある。ぼくたちが、絶え間なくコミュニケーションのなかに「居る」存在であることをふまえると、「場所」の問題は、コミュニケーションを理解することから、はじめなければならない。

2013年度秋学期は、「引っ越しの準備」というテーマでフィールドワークを実施した。もし仮に、ふだん使い慣れた教室や研究室を引き払って、別の「場所」へ引っ越しをするなら、どこがいいのか。30人のための、物件さがしである。学生たちは、できるだけ具体的・現実的な物件を提案することを求められた。

スライド6.jpg「キャンプ」の精神があれば、まちなかに「教室」をつくることは難しくない。(2009, 佐原)

「いま」を考える。

「引っ越しの準備」は、文字どおり、ゼミを開講する「場所」を、本当に変えてみたいという想いで考えた課題だった。広さはもちろんのこと、移動距離や賃料さえ見合えば、キャンパスの外にゼミのための「場所」があってもかまわないからだ。学生たちは、学期をとおしてまちを歩きながら物件をさがした。実際に、いくつかのレンタルスペースについては、みんなで試しに使ってみた。学期中には実現しなかったが、ぜひ行ってみたい「場所」の提案もあった。

学生たちが綴ったフィールドワークの報告を読んで、気づいたことがいくつかある。まず、数か月にわたってフィールドワークをすすめているうちに、この課題が、いまじぶんたちが使っている教室や研究室を、あらためて見つめ直す試みであることが際立ってきた。そもそも、ゼミとはどのような「場所」なのか。何がゼミを成り立たせているのか。じつは、実際にあたらしい物件にたどり着くためには、いまある環境を、もう一度、理解しなおす必要があったのだ。

そして、学生たちにとって、ゼミの時間が、(個人差はあるものの)無視できない存在になっていることもわかった。学生生活において、それなりの時間とエネルギーを投じる対象であるならば、なおさらのこと、「場所」の問題には、きちんと向き合わなければならない。それはつまり、コミュニケーションのあり方について、もっと自覚的になるということだ。
シンプルながらも忘れてはならないのは、ぼくたちこそが「場所」をつくっているという意識だ。よりよいコミュニケーションへの想いは、「場所」への欲求となって表れる。いま、誰かと「居る」ことの意味を忘れないためにも、つねに「引っ越しの準備」を考えておくといいのかもしれない。


黄金町
海辺の教室
自分たちでつくる
うちの芝生は青い
日々、変わる

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フィールドワーク展Ⅹ:じゅじゅじゅ