パッケージ ::: はじめに

はじめに

もうひとつの「ものづくり」は、食卓とゴミ箱の「あいだ」にありました。
しばらく前に、同僚の水野大二郎さんに「おかんアート」ということばを教えてもらいました。それから、なぜかわからないのですが、このなんとも肩から力の抜けた「おかんアート」ということばが頭から離れなくなりました。

じつは、「おかんアート」はそれほど難しいことばではなく、みなさんも、すでに何らかのかたちで触れているはずです。厳密な定義は難しいのですが、「おかんアート」は「おもに中高年の主婦(母親=おかん)が余暇を利用して創作する自宅装飾用芸術作品」の総称とのことです。代表的なのは、ドアノブやティッシュ箱のカバー、牛乳パックでつくる「アート」作品、人形など。これらを「アート」と呼ぶかどうかもふくめ、個人的には、どちらかというと面倒な存在です。素朴に、(多くの場合)どうしたらいいのかわからない、いきなり無力感につつまれるようなイメージをもっているからです。いま、面倒だと書きましたが、それは、存在の証です。
こうした「おかんアート」の存在や動向を、「何か」に対抗するためのアプローチとして大げさに語るつもりはありません。そもそも、この語感やリズム感で成り立つ世界は、すでに「何か」をあっけらかんと崩壊させているかのようにも思えるからです。「おかんアート」は、リサイクル精神にあふれた「エコ」なクラフトでもないし、手づくりの価値を高めてあたらしいマーケットを創造 しようという話にも、簡単には結びつきそうにありません。「おかんアート」の本質は、純粋に「無用の用」を追い求める姿勢と、「質より量」と言わんばかりの圧倒的な繁殖力なのかもしれません。

IMGP7167.JPGフィールドワーク展Ⅹ:じゅじゅじゅ(2014年2月1日〜4日)

ガムテープとウチにあった食品パッケージをつかって、フィールドワーク用のメモカバーをつくってみたら、なかなかイイ感じでした。あとは、人がちょっと呆れるくらい、たくさんつくってみるだけです。おかげで、いままでゴミ箱に直行していたパッケージを、じっくりと眺めることが多くなったように思います。食品にかぎらず、ぼくたちの日常生活が、夥しい数のパッケージによって成り立っていることを、あらためて知る機会にもなりました。もう少し、いろいろと考えてみたいと思います。

加藤文俊