渋谷をはかる ::: はじめに

はじめに

加藤文俊

「ものさし」をつくる

フィールドワークに必要な感性を磨くためには、実践的なトレーニングが必要だ。2014年度春学期のグループワークは、「渋谷をはかる」というテーマですすめることにした。これまで、観察や「風俗採集」を中心とする課題が多かったが、今学期は少しだけアプローチを変えてみた。たんに見たこと・感じたことをそのまま記述するのではなく、フィールドワークをすすめながら、まちを理解するための「ものさし」を考案し、その「ものさし」で、あらためて渋谷(事前に対象となるエリアは指定しておいた)をはかるというものだ。学生たち(学部2・3年生)は、グループに分かれてこの課題に取り組んだ。

学期をとおして、それぞれのグループが進捗報告を数回おこない、少しずつ「ものさし」の完成度を高めていった。ここに束ねられているのは、5つのグループが、あたらしい「ものさし」で、渋谷の成り立ちを描こうと試みた記録である。「ものさし」は、現場とぼくたちとの〈あいだ〉にあって、あたらしい理解の創造を促すはたらきをする。重要なのは、どの「ものさし」も、ぼくたちの体験をはかろうとしている点だ。たとえば、まち歩きをするときに、目的地への「直線距離」という情報だけでは、ふじゅうぶんであるということを、誰もが経験的に知っているはずだ。地面の起伏も、音やにおいも、流れゆく景色も、すべてがまちを理解するのに必要な情報だ。もちろん、ひとつの「ものさし」ではかることはできないが、地図やガイドブックには載っていない、体験としてのまちは、どのように表現できるのだろうか。当然のことながら、ちがう「ものさし」を使えば、まちはちがって見えてくるだろう。

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「ものさし」をはかる

じぶんたちで「ものさし」をつくり、その「ものさし」を使って渋谷のまちを理解するというやり方は、とても自己充足的である。自作自演なのだ。もちろん、ユニークな観点が提供されることはまちがいないが、「ものさし」そのものの出来を評価しておく必要がある。つまり、(ちょっとややこしい話に聞こえるかもしれないが)「ものさし」自体も、何らかの「ものさし」(基準)ではかるということだ。その基準として大切なのは、信頼性と妥当性である。

信頼性は、「ものさし」がいつでも安定的に使えるかどうかに関わる基準である。たとえば、ぼくたちがふだん使っている定規は、いつでも同じように長さをはかることができる。その日の気温や湿度に影響されて、「ものさし」が伸びたり縮んだりするようでは困る。きょうが1ミリなら、明日も1ミリでなければ、信頼できる「ものさし」とは呼べないだろう。だから、定規にはそれにふさわしい素材がえらばれている。まちをはかる「ものさし」も同じだ。はかるべき対象(フィールド)に応じて、「ものさし」自体が変わってしまうようなことがないかどうかを確認する。フィールドワークをくり返したり、別のまちとの比較を試みたりするためには、信頼性が必要なのだ。
妥当性は、「ものさし」が何をはかろうとしているかに関わる基準だ。これは、そもそも、調査者としての着眼点が適切かどうかという判断をともなうので、評価が難しい。「ものさし」をつくることは、複雑で難解な現場を、ある考え方にもとづいて単純化するということだ。だから、その過程には、必ず省略や誇張がともなう。カーブが多くて起伏の激しい道のりを、出発地から目的地までの「直線距離」で表現するだけでは、あまり役に立たないだろう。そんなとき、ぼくたちは「所要時間」という情報と組み合わせることによって、「近いけど遠い場所」に向かうことを実感するのである。妥当性の評価については、調査者のセンスも問われることになるだろう。

「はかりかた」を伝える

少し難しい課題設定だったかもしれないが、それぞれのグループの個性が際立つ「ものさし」ができた。もうひとつ重要なのは、これらの「はかりかた」(=「はかる」ための一連の手続き)をきちんと残し、整理しておくことだ。時代が変わっても、あるいは他の場所に行っても、(よくできていれば)同じ「ものさし」を使うことができる。考現学の仕事では、先人たちが、いくつもの「調べごとの規定」を丁寧に記述し残そうとしてきた。そのおかげで、ぼくたちは当時のやり方をなぞったり、再解釈(改変もふくめて)したりすることができる。よい「ものさし」は、多くの人に受け容れられ、長きにわたってつかわれていくはずだ。

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