渋谷をはかる ::: 渋谷のみちびき

渋谷のみちびき

井上千聖・此下千晴・堀越千晴

はじめに

「渋谷」というフィールドと、「はかる」という行為が決められた今回のグルワ。まずはフィールドを理解しようと何度も渋谷に足を運んだが、まち全体に対して何らかの見解を見出だすのは難しかった。その要因はおそらく、渋谷というまちの多様性にあるだろう。渋谷はいくつもの鉄道会社が駅に乗り入れている一方で、表参道、原宿、代官山といった隣町へのアクセスも徒歩圏内である。少し歩くだけで景観はガラリと変わるし、行き交う人も性別や年齢、職業など様々。そう多様に見せる表情が、まちの全体を理解することを困難にしていたと振り返ってみて思う。同様に「はかる」という行為もわたしたちを悩ませた。当初は、長さや時間、重さなど目に見えないものを数字と組み合わせて理解させてくれる、単位の創造をイメージしていた。しかし、センチ、分、グラムという概念が世界で通用するのは、人びとの中にそれらをはかる尺度が自然と備わっているからである。数字にも単位にも固有の意味はなく、決められた尺度をもってはかり、値を比べてみることでその対象の理解が可能となる。つまり何かを「はかる」ためにはまず尺度を作らなければならないのだ。結果としてそれは新しい概念の創造にもつながる。渋谷のまちは簡単には理解できないかもしれないが、ある尺度をもって渋谷のまちをはかることで、今まで見えなかった渋谷の姿が写し出される。渋谷というまちに、新しい世界観を築くことができるのだ。

地図をつくる

結論から言うと、わたしたちが作ろうとしたのは、歩行者中心の渋谷の世界だ。きっかけは、フィールドワークをしていたあるとき、横断歩道を無視して自由に車道を横切る歩行者の存在に気付いたことからだ。彼らは車の往来をすり抜けるように、対岸の歩道へと進んでいった。振り返ってみれば、フィールドワークを重ねるなかでわたしたちは、歩行者として作られた道を歩いて渋谷の地に触れてきた。歩行者は車道の真ん中を歩くことはできず、歩道に沿うことでしか道を歩けないと思っていた。しかし目撃したように、真の渋谷の歩行者は、もっと自由に道を移動するのかもしれない。そんな歩行者の自由度を決めるのは、ガードレールや花壇、ポストといった歩道と車道を遮るもの(以下、遮るもの)の存在だと思った。奇しくもわたしたちのグループは皆、運転免許を持っておらず歩行者の立場から見た渋谷の道しか知らない。その完全歩行者目線を活かしてわたしたちは、渋谷の道を歩くときの自由度をはかり、歩行者がより自由に渋谷を歩くための地図を作ることにした。

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車道に面した歩道を全て歩いたときの歩数を分母とし、そのなかで「遮るもの」が何もない部分の歩数を分子として、道の抜けやすさの割合を出す。0〜100まで出た値は5つの段階の太さの線で地図上に表現した。0〜20が点線、21〜40が破線、41〜60が実線、61〜80が二重線、81〜100が太線。線が太いほど、歩道が何かに遮られていることがなく、反対側の歩道に渡りやすい。逆に細いと、歩道が何らかの遮るもので阻まれ、その道からすり抜けることができない。さらに道の自由度を表す尺度として、太い線から細い線に向かって、らくらく・まあまあ・そこそこ・ひいひい・むりむりと5段階を名付けた。地図の中心はハチ公像である。

まず範囲を狭めた。歩行者のために作る地図といいながら歩いて行くことができないような距離まで載っていると現実味がなくなってしまうと思ったため、調査対象は渋谷駅前のハチ公像から地図上で半径五百m内のエリアと決めた。この範囲を設定することによって、隣町との境界が曖昧な渋谷というまちの、特に中枢となる部分に焦点を当てることもできたとも思う。

具体的なはかりかたは、以下の通り。車道に面した歩道を全て歩いたときの歩数を分母とし、そのなかで「遮るもの」が何もない部分の歩数を分子として、道の抜けやすさの割合を出す。その数値が百に近いほど、歩道が何かに遮られていることがなく、反対側をゆく歩道にアクセスしやすいということだ。逆に数値が〇に近いほど、歩道と車道の境界は遮るもので阻まれていて、その道からすり抜けることができないということを表している。算出されたそれぞれの道の抜けやすさの数値は、5色に分けて地図上に表記した(詳しくは凡例を参照)。工事が行われていて測定不能だった箇所については、×印をつけている。また、道の間にある横断歩道は★印で表した。

尺度は、それぞれの色に名前をつけることで表した。歩行者目線でみた、各段階に対する感情。線が太いと道を遮るものはないので、らくらく道を通り抜けられる。反対に線が細いと道は塞がれているので、対岸の道に出るのはむりむり…というように。

改めてこの地図を見ながら渋谷を歩くと、いかに私たちが道のつくりに影響されているかがわかった。センター街はごちゃごちゃしているとよく言われるが、それは遮るものがないために歩行者が縦横無尽に道を進むからだろう。また、例えばハチ公像からセンター街ロフトに行くとき、私たちは点線の大通りではなく、太線ばかりのセンター街の道をよく通る。無意識的に自分たちがらくらく歩ける道を選んでいたのだと思った。さらに、具体的な話になるが、地図上にポイントした①と②と③は、前述した「車道を横切って対岸の歩道に渡る人が多発する」スポットだ。この場所の共通点は、らくらくの道とむりむりの道が交差していて、横断歩道がないということ。らくらくの道を歩いてきた人がむりむりの道を横切ってゆくのは、らくらくの道を歩く自由さをそのまま連れてきてしまうからなのではないだろうか。また同じく地図上にポイントした④は、四方を赤とオレンジで囲まれていて、むりむりの道だらけ。しかし、実はここには老人ホームが存在していて、四方を遮るもので塞がれているのには事故防止のためといった意図を感じる。地図に落とし込んだ歩道の線引きと、歩行者の動きは、密接に関わっているといえるだろう。

さいごに

進む道があるから、人も車も移動することができる。しかしそんな人びとの足元を支える道という存在に思いを馳せる人は、なかなかいないだろう。だからこそ道に注目せざるを得ない尺度を設けることで、新しい価値観を生み出したかった。歩行者の目線で作ったのだ。開発が進み、渋谷のまちが変わってもこの尺度は残り続ける。この尺度はまちの姿を読み解く手法とも言い換えられるだろう。「わたしたちだけが知る渋谷」の世界ができたことで、渋谷に対する距離感がぐっと縮まったのだ。歩行者が、より自由に渋谷を移動する世界を、みちびきたかった。

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