連れてって

加藤文俊

大切なひととき
ぼくたちは、コミュニケーションせずにはいられない。そして、絶え間ないコミュニケーションへの欲求は、場づくりについて考えることと直結している。というのも、ぼくたちのコミュニケーションは、かならず〈いつか・どこか〉でおこなわれるからだ。どこで、誰と一緒に過ごしたいのか。どのような雰囲気だと、居心地のよさを実感できるのか。大切なひとときについて考えることをとおして、ぼくたちの意識は、身の回りのさまざまなモノや生活のリズムなど、じぶんたちが「暮らしていること」(少し大げさに言えば「生きていること」)へと向かう。毎日の暮らしが、予想以上に規則的だということにも気づく。慌ただしく流れてゆく日常のなかで、大切なひとときはどのように演出することができるのだろうか。
大切なひとときについて考えるとき、まずは個別具体的な情景を想い描くことが大切だ。素敵な体験を幾度も再現することは、ひとまず忘れてもかまわないだろう。そもそも、大切なひとときは、たった一度だけの体験なはずだ。まずは、そのひとときを実現するための条件を、緻密に丁寧に考えてみよう。たとえば親しい友だちとのひさしぶりの再会を彩るために、どのような工夫ができるだろうか。どこまで、コミュニケーションに執着するつもりがあるのだろうか。ぼくたちは、花が一輪あるだけで、軽やかなBGMがあるだけで、ずいぶんと気分が変わることを経験的に知っているはずだ。ひと手間かけることで、場所の体験は大きく変わりうる。当然のことながら、友だちとのかかわりは、過去の出来事や、未来に託す気持ちと分かちがたいものとして理解しなければならないだろう。大切なひとときの実現には、弛まぬ想像力と逞しい実行力が求められている。
 
手ぶらをめざして
大切なひとときを過ごそうという企画がじゅうぶんに魅惑的なら、その話を聞いただけで、「連れてって」と思うかもしれない。大切なひとときを一緒に過ごす相手にえらばれたとしたら、それはとても喜ばしいことだ。お互いに時間を出し合うことを約束し、当日を迎えるのを心待ちにする。
場づくりの基本は、時間と空間を整えることだ。〈いつ・どこで〉集うのかを考えながら、さらにさまざまな道具によって場所の演出を試みる。これまで、「ちいさなトラック」「引っ越しの準備」「爽やかな解散」といったテーマで実施したフィールドワークでは、移動や解散を前提とした場づくりの方法に注目した。移動や設営・撤収のことを念頭に場づくりを考えると、本当に必要なモノは何かについてあらためて問いなおすことになる。大切なひとときのために、何を厳選し、どのように持ち運ぶのか。自前で用意しなくても、現場で調達できるモノがたくさんあることにも気づく。また、どれほど周到に準備をすすめても、予期せぬハプニングに遭遇することはめずらしくない。臨機応変に状況を理解し、何をすればよいのかを判断する。すべて、大切なひとときのためだ。
ぼくたちは、場づくりのために、過去の経験や知恵をつぎ込む。そして、相手が親しい友だちであるならば、わざわざ大げさなお膳立てなどせずに、じつは〈いつでも・どこでも〉かまわないのではないかと思いいたるのだ。きわめて逆説的なのだが、大切なひとときは、気兼ねすることなく、ごく自然に「連れてって」と言うだけで実現するものなのかもしれない。結局のところ、大げさな準備に気を取られることなく、手ぶらを楽しむということなのだろうか。きっと、手ぶらの気軽さは格別なはずだ。時間や空間、さらにはさまざまな道具立てからも解放される。
ぼくたちが、場づくりについて考えたり実践を試みたりするのは、いずれは多くのモノを手放して、身軽になるための準備なのかもしれない。手ぶらであっても(手ぶらになってこそ)、「連れてって」と思える関係をつくりたいのだ。
 
こうした問題意識をふまえ、2017年度春学期は、4つのグループに分かれてフィールドワークをすすめた。それぞれのグループが個性を活かしながら「連れてって」という課題に向き合った。今回は、いわば「思索・調査編」とも呼ぶべき段階で、この先は、より具体的な現場で実践的な試みへと展開していければと考えている。🚶(2017年7月)
 
◎連れてって|Take me out(on Medium)→ https://medium.com/the-first-of-a-million-leaps/%E9%80%A3%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%A3%E3%81%A6-c446b89d158f
◎加藤文俊研究室 → http://fklab.today/