吉田初三郎的な

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吉田初三郎的な

佐々木 茅乃・高島 秀二郎・比留川 路乃
 

初三郎「的な」を考える

私たちは吉田初三郎を知らなかったため、まずは彼の人物像と人生について探り始めた。初三郎は大正から昭和にかけて活躍した鳥瞰図絵師である。そして観光宣伝メディアの作成を通じて、現在の観光業界の先駆けとなった商業美術家でもある。
そもそも初三郎は鳥瞰図絵師になる以前、洋画家を目指していた。しかし当時の師匠の勧めに従い、商業美術家として鳥瞰図絵師に転換した。これを踏まえたとき私たちの中で、「初三郎にとっての地図とは何だったのか」、また「初三郎は本当に地図を愛していたのか」、そして「初三郎の生涯のポリシーとはどのようなものだったのか」という疑問が浮かんだ。毎回のプレゼンの「いちずにちずに、」というタイトルに入っている「、」には、私たちが感じたこれらの違和感(わだかまり)が込められている。
 

いざフィールドワークへ

5月上旬、大阪キャンプのタイミングに合わせて私たちは吉田初三郎ゆかりの地、京都でのフィールドワークを試みた。まずは、初三郎のお墓参りから始める。墓の状態は薄い手入れさえされていたものの、定期的にお参りに来る人の影は感じられなかった。初三郎本人の墓のとなりには彼の両親の墓も建てられていた。
次に訪れた京都府立京都学・歴彩館では、全長1メートル×5メートルの作品『京都名所御案内』の実物を鑑賞した。想像以上の作品の大きさに圧倒されたと同時に、初めて初三郎直筆の作品と対面することで地図の細かい部分まで観察することができた。またこのとき、私たちは初三郎が観光パンフレットの制作に携わっていたことを知り、その原物を見る機会にも恵まれた。さらに、歴彩館内のスタッフの方より、初三郎の交友関係の広さや地図内に描かれている情報の膨大さを学んだ。このフィールドワークによって、初三郎についての知見がますます深まった。
後日、私たちは神奈川県立歴史博物館へも足を運んだ。ここでは神奈川県に焦点を当てた鳥瞰図を見たほか、初三郎がどのように地図を書き上げていたのか具体的な様子をうかがうことができた。彼は独自のプロダクションを立ち上げ、多くの弟子たちとともに鳥瞰図を完成させていたらしい。私たちはこの仕組みも「的な」に繋がる重要なヒントとして捉え、さらにそこから「そもそも地図とは何か」という疑問を元に分析することにした。
 
◎つづきはPDF版で(9月中旬に公開します)
 

 
 
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