成瀬巳喜男的な

It's like Mikio

成瀬巳喜男的な

小島 信一郎・笹川 陽子・塙 佳憲
 

成瀬巳喜男とは 

成瀬巳喜男は、1905年から1969年まで生きた映画監督である。小市民映画というジャンルで、小津安二郎などと同時代に活躍した。東京の四谷に生まれ、生まれたのが巳年、巳の月、巳の日だったので「巳喜男」と名付けられた。工学系の学校に通っていたが、父が亡くなり家計が悪くなったため中退する。その後、知人の紹介で松竹蒲田撮影所に小道具係として入社する。しかし、なかなか監督へはなれず、10年もの下積み時代を過ごした。1930年に『チャンバラ夫婦』で監督デビューを果たした。
彼は、個性的な映画監督というよりも、職人監督としての道を生きた。初めは松竹蒲田に所属していたが、PCL、東宝と所属プロダクションが移っていくにつれて、自分で原作を書くことは無くなっていった。戦後、女性映画の名手として知られるようになってからは、年二・三本というハイペースで映画を制作していた。映画の製作期間は四ヶ月しか無く、撮影期間は一ヶ月前後という制約がある中で、成瀬はテキパキと映画を撮っていった。時間の無い中で、自分が原作を手がけることは少なくなっていき、原作は脚本家が書いたものが多かった。また、文芸作品を撮ることにも長けており、林芙美子原作の作品は『めし』で手がけて以降六本も撮っている。このような多く撮る成瀬に対応するため、脚本・カメラマン・演出など、お決まりのスタッフと行うことも多く、次第に成瀬組と呼ばれるようになった。
その後は次々と新作品を発表していった。東宝の前身であるPCLから引き抜きの話が入ったこともあり、会社を移籍する。そして、東宝で次々と作品を作ることとなる。彼の作品は全部で90作品あり、代表作は『めし』や『浮雲』などである。
女性映画の名手で、『雪崩』では黒澤明が助監督になり、「映画のエキスパート」「その腕前の確かな事は、比類がない」と評している。また、家庭内の日常を好んで映したり、登場人物が振り向くシーンが多かったりなど、彼なりの映画の手法を持っている。
 
◎つづきはPDF版で(9月中旬に公開します)
 

 
 
ぷち(2018)
フィールドから