100円ショップを「読む」
'Reading' 100 Yen Shops

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この2年ほど、何をするにも、「COVID-19の影響下にあって…」という前置きが必要になった。ぼくたちの動きは著しく制限されて、対面で人に会うことも、買い物に出かける機会も激減した。この先、「ウイルスの拡がりは止めて、経済活動は止めない」という難題に、どのように向き合ってゆけばいいのだろう。
ひさしぶりに「外」に出ると、まちのようすが変わっていることに気づく。数年前に見た工事現場には建物ができ上がっているいっぽうで、いくつもの店が姿を消している。それが、リアルだ。あたらしい商品もサービスも生まれている。ずっと眺めていた画面の「外」で、じつに多くのモノ・コトが動いていたのだ。ビジネスの世界はしたたかで、生きよう、生き延びようとする人間の逞しさを実感する。大変なことはわかっているが、この状況が好機となっている業界もある。そのひとつが100円ショップである。100円ショップの業界売上高は、2020年度に過去最高を更新したという。店舗数も増えているようだ。
ぼくたちの身近にある100円のモノたちから、身近な暮らしを、社会を、さらに世界を想い浮かべてみる。世界規模でCOVID-19に翻弄されていることも、モノの生産と流通の仕組みのことも、ちいさなモノを起点に考えることができる。ぼくたちの観察力と想像力を駆使しながら、〈いま〉を理解するきっかけをつくってみたい。マスクにはもう慣れた。ちょっと苦しいけど、ことばを紡ぎ、目で語れば、お互いの表情は伝わるものだと思う。

はじめに

 「オタク」から「おうち」へ

2020年は、COVID-19の影響下にあって、ぼくたちの日常生活の諸側面が、変容をせまられる年になった。モノと情報だけが自在に行き来するいっぽうで、人びとの移動は著しく制限され、ぼくたちは長きにわたる「自粛生活」を強いられることになった。
「オタク」ということばは、マニアックな性向を語るためのことばである。損得勘定とは無縁で、趣味的な活動に時間とエネルギーを投じる、大いなるアマチュア精神の体現だと理解することもできるだろう。しかしながら、なぜだか「オタク」ということばからは、部屋から出ずに何かに没頭しているという「インドア」志向のイメージがつきまとう。社会関係については、まさにマニアックであるが故に、限定的・選別的になりがちだ。
「自粛生活」では、いままで以上に、デリバリーやオンラインショッピングなどを活用することになり、家に居ながらもたくさんのモノが家のなかに入ってくる。オンラインによるコミュニケーション機会が増え、カメラをとおして、室内のようすが人目に晒されることになった。〈見る=見られる〉という関係性も、これまでとはちがったバランスで成り立たせる必要が生じている。この一連の過程を経ながら、「オタク」のイメージが、「おうち」ということばによって、ゆるやかに更新されつつある。
 

「おうち時間」を支えるモノ

全国(全世界)規模ではじまった「自粛生活」によって、「おうち時間」の過ごし方が多くの人びとの関心事になった。家で過ごす時間が増え、時間・空間の使い方が再編成された。通勤・通学のために家を離れるというルーティンが消えると、たとえば同居している家族との「棲み分け」も必要になる。「おうち時間」を充実させるために、狭小な住環境を恨みながらも、整理整頓をすすめ、カメラに映り込む背景にも気を配るようになった。人びとは、タイル状に画面に並ぶ顔を眺めつつ、その背景にもまなざしを向けている。
いうまでもなく「自粛生活」の継続は、経済的なインパクトをもたらしている。リモートワークが可能な業種・職種はともかく、たとえば飲食店をはじめとするサービス業は大きな打撃を受けている。そんななか、この状況が好機となっている業界もある。そのひとつが100円ショップ(100均)である。帝国データバンクによると、100円ショップ大手5社(ダイソー、セリア、キャンドゥ、ワッツ、音通)を中心とする業界の売上高(事業者売上高ベース)は、2020年度に9000億円をこえ、過去最高を更新している。店舗数も着実に増えているようだ。*
この動きは、「おうち時間」の増加と無関係ではないだろう。COVID-19による節約志向の高まりもあるが、もともと100円ショップは、「おうち」で使う生活雑貨を中心とする品揃えで成り立っているからだ。実際に、100円ショップは、「おうち時間」の充実に、どのようにかかわっているのだろうか。
 

「おうち」から「おそと」へ

「自粛生活」にともなう移動の制限は、つまりは、ぼくたちの社会関係への制約だといえる。画面越しのやりとりは可能であっても、対面で誰かと接すること、そのための身体的な移動は、ままならない。また、「非接触」への志向は、効率化・合理化を加速することになる。結果として、ぼくたちの日常生活に偏在していた「余白」や「」と呼ぶべき領域が徐々にそぎ落とされて、「不要不急」かどうかという判断基準で、日常生活のリズムが再編成されようとしている。
そもそも、ぼくたちの接触・近接の度合いは、親密さや信頼関係に応じて調整されている。ゆるやかに順序づけされているといってもよいだろう。たとえば家族や同居人などは、いわば「道連れ(関与者)」であるから、COVID-19の影響下にあっても、近くに「居ること」が許される(許さざるをえない)。
2021年の秋を迎え、さまざまな制約が少しずつ緩和される兆しである。当然のことながら、「元に戻る」ことはないが、人びとの移動機会は増えてゆくはずだ。つまり「おうち」から「おそと」へ、まずは、ごく近しい人と一緒に活動するところからだ。窮屈な想いで過ごしていたので、家族とまちを歩くだけでも新鮮な気持ちになる。近年の「ソロキャンプ」ブームとも呼応する形で、人混みを避けた「アウトドア」への志向が高まっているようだ。ここでも、100円ショップが重要な役割を果たす。「おそと」での利用を想定したグッズの品揃えも、豊富になっている。
  

* 参考:帝国データバンク プレスリリース(2021年10月)コロナ禍で好調 「100均」市場、20年度は初の9000億円超え 店舗は8000店を突破