この課題について
ケン・プラマーは、『社会学の教科書』(2021, ちくま学芸文庫)の導入として、「あらゆるどうでもいいものの社会学(原著ではA sociology of every damned thing)」について述べている(第1章)。社会学では、壮大なことから些末なことまで、「あらゆるどうでもいい」(と思われる)ものが、研究の対象になるというのだ。プラマーは、3つの「T」を挙げて、この実態を説明する。「トマトの社会学」「トイレの社会学」そして「テレフォンの社会学(電話の社会学)」である。そして、いずれの「T」についても、具体的な調査研究の事例が紹介される。どれもが、人びとの日常と結びついた社会的な事物・事象として理解できることに、あらためて気づくだろう。
「なんでもアリ」は、社会学的想像力を駆使すれば、さまざまな〈モノ・コト〉を研究対象として柔軟に扱えることを示唆している。同時に、「なんでもアリ」は、優れた研究からそれほどでもない研究まで、そのクオリティを保証しないまま(できないまま)、一緒くたにすることにもつながる。実際に、「それっぽい」社会学の本は、たくさんある。「あらゆるどうでもいいもの」に向き合いながら、調査研究の信頼性・妥当性について、自らの意識や要求水準を高めなければと自戒する。
2021年度春学期の「研究会」では、この『社会学の教科書』を「教科書」に指定した。プラマーの本に着想をえて思いついたのが「『XXの社会学』を考える」という課題である。学生たちは、『XXの社会学』という本を書くつもりになって、説明文やはじめに(序文)を書いて、さらに架空の本の表紙をつくってみる。判型や文字送り(縦書き/横書き)もふくめて、一人ひとりがまだ見ぬ社会学の本を想い描く。
もちろん、「XX」は「なんでもアリ」だ。(3つの「T」になぞらえて)じぶんのイニシャルから考えてもいい。4年生は、じぶんの「卒業プロジェクト」を出版するつもりでアイデアを整理するのに役立てることもできる(本当に成果を出版できる可能性もある)。このウェブには、一人ひとりが構想した本の書影と200〜300字程度の紹介文が掲載されている。
ぼく自身は、この課題に取り組む学生たちのようすを眺めながら、『課題と評価の社会学』を思いついた。職業柄、学期が来るたびに課題を考え、学生に投げかける。課題に応えようとする学生たちとやりとりしながら、課題そのものについて再考する。そのくり返しである。「よい課題」は、いきいきとしたコミュニケーションを促し、提出後にも余韻が残る。学生たちは、「それほどでもない課題」は、とにかく終わらせることを目指して取り組むようになり、(その過程を見て)評価する立場の教員も、いささか事務的な態度に変わることもある。
だから、課題の設計は難しい。いうまでもなく、課題と評価がセットになって反復されることで、「教育」のある側面が成り立っている。課題と評価は、社会のありように洞察をくわえる「入り口」になるはずだ(『課題と評価の社会学』については、別途まとめる予定)。
2021年8月12日