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はこべるよろこび

加藤 文俊

おかもちがあった

もはや、学生たちには通じないかもしれない。「出前」といえば、スーパーカブの荷台でゆらゆらする機具(出前機)を思い浮かべる。アルミのおかもちから、ラーメンのどんぶりが出てくる。注意ぶかく、そうっとラップをはずしても、たいていテーブルも手もスープにまみれることになる。そう遠くはない店からはこばれてくるので、熱いラーメンを味わうことができた。
あるいは、旅館の大広間で食事をする。仲居さんが、おかもちにビール瓶をのせてやって来る。ビール瓶は倒れやすいので、おかもちだとお盆ではこぶよりも楽だし、いちどにたくさんはこぶことができる。「ビール運び」「銚子運び」は、飲みものに特化した道具だ。
最近では、スマホを片手に黒い四角いバッグを背中にしょった配達員が、バイクや自転車で「出前」を届けてくれる。これが、イマドキのおかもちだ。だが、中身がぐちゃぐちゃになっていることもあるという。それは、おそらくスーパーカブのことも、ラップのことも知らないからだろうなどと邪推する。もちろん、便利な容器が開発されているとは思うが、そもそも食べもの、飲みものは、やさしく丁寧にはこぶ必要があるのだ。なぜ、(あの懐かしい)おかもちを見かけなくなったのだろう。それは、ぼくたちの日常生活の変化と無縁ではないはずだ。
 

おかもちを提げて考える

誰かと食事をしようというとき、お互いに時間を出し合い、場所も決める。「約束」をすれば、それに応じて他のスケジュールも調整することになる。つまり、人と人とのかかわりは、移動と切り離すことができない。ぼくたちは、つねに「動いている」のだ。
2023年度は、「共食(ともに食べるということ)」をテーマに活動してきた。一緒にテーブルを囲んで飲んだり食べたりすると、コミュニケーションは滑らかになる。「共食」の機会が、社会関係を育み維持するために大切な役割を果たすことは、経験的に知っているだろう。ここしばらくは、厳しく制限されていたことでもある。


2017年度秋学期の課題「うごけよつねに」では、自転車やキャリーカート、キックボードなど、車輪のついたモノを配って実習をおこなった(うごけよつねに  https://vanotica.net/smaco/)。今回のグループワーク(学部1〜3年生)は、もっとコンパクトなおかもちを使ってみることにした。アルミではなく木製のおかもちを配布し、それぞれのグループが、「共食」のための場づくりを提案するという課題に取り組んだ。
もちろん、おかもちではこぶのは、食べものにかぎられるわけではない。「ともに食べる」場面は、食べもの、飲みもの以外のたくさんのモノによって構成されているからだ。たとえば、灯りやBGM、調度品もカトラリーも、あるいは「話の種」になるような本やアルバムなども大切な役目を果たすかもしれない。おかもちの可能性をのびのびと想像しながら、フィールドワークがはじまった。
 

おかもちの移動性

最初のころ、学生たちは「かさばる」「水平に保つのが難しい」などという感想を述べた。たしかにそうだ。そもそも、食べもの、飲みものを扱うための道具なのだから、人が、多少の不都合を受け容れざるをえないのだ。逆に、人を中心に考えるバックパックの類いは、スリム化・軽量化され、身体と一体となるようにデザインされる。かくして「はこぶこと」を忘れるようなモノが歓迎される。おかもちを手にすることで、ぼくたちの意識はモノのありようへと向かう。移動への欲求が、モノの役目を決めてゆく。
おかもちは、移動可能な存在だ。場所に固定されることはなく、また身体と重なり合うこともない。コミュニケーションの現場に、何を携行するのか。社会関係の変化は、「はこぶこと」にどのような影響をもたらしているのか。重要なのは、ぼくたちの移動は、さまざまな「不動」のモノたちによって支えられているという点だ。つまり、おかもちにあれこれと詰め込んだとしても、それでじゅうぶんだとはいえない。移動性は、不動性とともに考えていく必要があるのだ。いささか奇抜な課題のように見えるかもしれないが、「はこべるよろこび」は、ぼくたちの「共食」の場面を身体的にとらえるための、「モビリティーズ研究」の一端をなす試みとして位置づけることができる。