ちいさなメディア論
GOOD THINGS COME IN SMALL MEDIA

つんなメディア

池田 颯太・岩崎 はなえ・佐藤 優・藤居 夏木 
[1/2きのこ]
 

つんなコミュニケーション

私たちがちいさなコミュニケーションを想像したとき、まるでE.T.のワンシーンのように自分の指と相手の指を「つん」とするような情景を思い起こした。誰かと「つん」としようとすることこそ、私たちのコミュニケーションへの欲求なのではないかと考えた。そこで私たちは「ちいさな」という対象の規模を表した言葉を、「つん」という行為する主体を含めた擬音として捉えていくことにした。この擬音をより立体的に捉えるために「つん」の対義語として「ガッ」を据え、つんガ辞典を作った。この試みでは、行為と影響の関係性を探るために、世の中にある「つん」と「ガッ」で言い表せそうな出来事を実際に写真や動画で集め、「つんからつん」「つんからガッ」「ガッからつん」「ガッからガッ」に分類した。これらを行うことで擬音を言語化できることを期待した。
しかし、「つん」と「ガッ」は感情の大きさや時間の長さ、また、エネルギーの大きさなど、さまざまな視点から捉えることができてしまうため終わりがなかった。また、二つの音の響きに気を取られ、メディアという要素を見落としてしまった。メディアを人と人の間をつなぐものだと捉えたとき、つんなメディアとは「人と人のある接触で得られる情報が少ない」ということだと考えた。私たちがつんガ辞典で行っていたことは、個人の行動とその影響を「つん」と「ガッ」で表していたのであり、つんなメディアを作るならば、誰かと誰かの関係性におけるつんとガッを考える必要があると気づいた。
私たちの身近にあるメディアはちいさい力でおおきな影響を生み出すという機能を持っており、私たちはコミュニケーションをする上でそれを求めている。例えばTwitterは、拡散する機能によって一人の体験や情報をより多くの人と共有する。Netflixは、映画館に足を運ばなくともボタンひとつで膨大な量の映画を見ることができる。人と人の関係性も同じように、誰かとつながるときにはその関係性を発展させることを期待してしまう。そこで私たちは、仲が深まるわけでもなく弱くなるわけでもない「つん」な関係性が続いていくことが面白いのではないかと考えた。
 

つんみりぐらむ

関係の発展を目的としないメディアを「つんみりぐらむ」と名付けた。インスタグラム上で新たにつんみりぐらむ用のアカウントを作り、自分さえもどうでもいいと感じるような情報しか得られないものをテーマとして選ぶ。まずは、グループの四人でコーヒー、時計、ヘアゴム、白というテーマでつんみりぐらむへの投稿を開始した。続けていく中で、お互いの関係がちいさな情報でつながれている「つん」な状態を保ちながら関わり続けることは、まるで毎朝窓辺にやってくる小鳥を待っているような感覚であり、仲が深まるわけでもなく、ただその関係がないと少し寂しいような絶妙な関係だとわかった。次に、研究会のメンバーにも参加してもらい、さらに規模を広げて続けることにした。最初は投稿への期待感があり毎回の投稿を楽しみに見にいっていたが、まだそこまで知らない人の投稿は、その人の今日ではなくただの写真という認識になってしまい、徐々に興味がなくなっていった。そこで、「どうでもいい」というキーワードについて改めて考えた。

内容と関係性

人とつながるメディアというのを考えたときに、私たちはコンテンツをどれだけ魅力的にするかということばかり考えてしまう。しかし、例えば大切な人と会うとき、どこに行くか・何を食べるかよりもとりあえず会うということが重要になるように、私たちは普段関係性さえあればわざわざ内容を飾る必要はないと思っているはずだ。つながる相手との関係性が大きな意味を持つからこそ、内容は初めから何でもよくなる。 大切な人は生きてくれているだけで尊いのだ。「どうでもいい」という言葉の解釈は、深い関係性における内容の重要度の低さへと変化した。内容を飾ることから脱却し、続くべき日常をそのものとして共有し合うというつながり方ができるのではないか。それは同時に、ラべリングからの解放でもある。ほとんど毎日同じ投稿がされると、その投稿から読み取れる記号は意味をなくす。そのかわりに、相手との具体的なストーリーが思い起こされるのだ。生きていてくれる尊さは、瞬間的な記号ではなくこれまでの重層的な思い出によってもたらされる。
また、つんみりぐらむは当たり前のように続いていく生活を切り取り、投稿し続けるメディアである。ある一定のリズムで投稿をしている人が突然投稿をしなくなったら周りは心配に思うはずだ。逆にその人の投稿が続いていることにより、きちんと生活できているという安心感を得る。このように、つんみりぐらむは生活を写した投稿が載せられていくことにより生きているという満足と安心感が得られるようなメディアである。
 

選ばれる媒体

つんみりぐらむがその輪郭を確かにもつためには、表現になっていない生活のひとこまを切り取ることが必要だ。つんみりぐらむは写真を投稿すると決めて始めた取り組みだった。しかし続けていくなかで、写真にこだわる必要はないのではないかという考えが生まれ、他の方法について検討してみることにした。文字や声はその人の思考が大きく現れるため、何かを表現することになる。音は、どのように録音するかという思考は入り込んでくるが既に存在するものを録音するに過ぎない。動画・写真も同様だ。実際に音と動画でつんみりぐらむをおこなってみて、何かを表現しているものはつんみりぐらむのために新たに何かを作り出していることになってしまい、それは適さないという結論に至った。この議論を広げたことで、表現になっていない生活のひとこまを切り取ることができる媒体であればつんみりぐらむの趣旨から外れないという明確な基準ができた。

 
 
 

外にひらく

つんみりぐらむは実践した人の中でしかその特徴が共有されないため、外に開くツールとして、七月末までのつんみりぐらむの様子をまとめた「つんみりマガジン」と「つんみりカレンダー」を作った。つんみりマガジンでは、これまでわかってきた大事なポイントや使い方、変化の歴史、そして実際にやってくれた人たちの感想を載せた。また、つんみりカレンダーには五月から七月までの毎日のつんみりぐらむの投稿をまとめた。この二つは、相互に参照しながら読むことでつんみりぐらむについて知り、実際に始めるきっかけになることを意識して作った。つんみりぐらむは人と人の関係性の上に成り立つものであり、関係性というものはそう簡単に理解できるものではない。つまり、このつんみりぐらむも、すぐに理解できるものではないのである。そのため、このマガジンとポスターも定期的に更新していくことを想定している。