ちいさなメディア論
GOOD THINGS COME IN SMALL MEDIA

ちゃちゃっとできんちゃっと

松井 七海・宮下 理来・山本 晃大
[ぱれっと]
 

憧れたメディア

まず、我々の漠然とした「作りたいメディア」への憧れを共有した。メディアの形式的な小ささや匿名性の高さといったメディアに対する心理的な壁の小ささが私たちの作りたいメディアの条件だと考えた。次に、これらの特徴を満たす身近な「ちいさなメディア」をグループ内で共有した。ここで挙がったのが、小さな喫茶店になど置かれている感想ノートだ。会話の痕跡が残る点やノートを通して体験を共有する点も私たちのメディアの好みに合致した。これらの話し合いの末、SFCに設置する感想ノートの作成を目指した。
 

素材を集める

緊急事態宣言によりオフラインでの活動が制限されたということを踏まえ、どのようなメディアを作るか再検討した。その上で、感想ノートの魅力について掘り下げた。まず、「共通した条件のもとで動く魅力」に注目し、感想ノートに惹かれた部分を具体的に考え始めた。我々はインスタグラムを用いて、日常の緑の写真のみをそれぞれ投稿してみた。ただ、投稿に対しての心理的な壁を感じ、盛り上がることはなかった。
この実験を踏まえ、「集める」ではなく「集まる」ことを可能にしたメディアが好ましいと考えた。自分たちはメディアの企画者ではなく、参加者を目指す。集めるという行為自体に感想ノートの魅力を感じていたのではない。行為を誰かと共有し、コミュニケーションを行いながら、相手とのつながりを感じるメディアこそ、我々の求める「ちいささ」だった。
感想ノートの大きな特徴、手書きにも注目する。「手書きはあたたかい」という漠然とした共通感覚を調べた。手書く文字は、人それぞれ違う。その文字を通して心情や状況、性格を想像することができる。また、ペンを握り、紙があり、誰かと共有して初めてコミュニケーションが成立する。確実に相手が「いる」、そして同じ手間を踏んでいる安心感があることは、「場所に赴いて書く」感想ノートとの親和性があると考察した。
「手書き」「感想ノート」をオンラインで活かすため、スクラップボックス上での感想ノートを作成した。スクラップボックスは、加藤研のメンバーのみが使える掲示板である。そこに特設のページを作った。ルールとしては、手書きの何気ない一言を撮影し、アップするのみ。あとはメンバーからのレスポンスをただ待つ。この「手間」と「共有体験」が、オンライン上で感想ノートを再現する。参加者同士がコミュニケーションを活発にとり、時間を超えて会話を弾ませる。顔は見えないけれど、SNSより相手を深く知っていく楽しみ。オンラインの中で、アナログ文字を見る機会を増やすことも期待した実験だった。
二週間運用した結果、予想より盛り上がりに欠けた。それは「手書く」以外の手間が影響していた。文字を写真に撮ってアップする書き手の手間と、サイトを開き、レスポンスする際の、ページを複数またぐ手間。オンラインでの感想ノートは、オフラインにはなかった独自の手間を生んでいた。「加藤研のサイトを開けばそこにある」オンラインのノートと、「何気なく見つけた」オフラインのノート。同じ共有体験に見えて、微妙なズレがあることにも気づく。更新されたことには何となく気づいてしまう故の、返信のプレッシャーは、SNSと似たものを感じた。会話が成立することを前提とした時点で、オフラインの感想ノートとは異なるものになる。また、誰かに向かってでもなく「何気ないこと」を発信することの難しさと、そのレスポンスをするにはかかりすぎた手間。そして「何気ない」を強制すれば何気ない会話は生まれにくいことを実感した。この結果を受け、実験を再設定した。メンバーがそれぞれ感想ノートの魅力を再整理する中で、感想ノートとして惹かれていた要素と手書きに惹かれていた要素が混合していることに気がついた。
 

「手書く」行為の魅力

スクラップボックスでのノートの欠点を考える。現実の感想ノートは相手の返事を前提とせず、縦にも横にも自由に書き込むことができる。対して、スクラップボックスのノートは相手の返答が必須。縦方向の流れに沿ってしか会話が生まれなかった。会話の、前の発言を拾うだけではない、複雑な構造を無視しているのではないかと分析した。
手書きの魅力も再考する。まず、アナログで手書く必要性を検証するため、デジタルで書き込んだ文字での会話。ここでは三人が共通して違和感を抱いた。実際に紙とペンを用いて手書いた時との感覚の違いだ。無意識的に相手にも同等の労力や苦労、手間を求める気持ちを求めていたのだろうか。次の実験は、一枚の大きな紙の上で筆談。会話の流れは多岐に及んで、心地良かった。ただ、人へ伝えたいことを書いているところを見られるのは恥ずかしかった。その改良版として、事前に相手に質問したいことや質問に対する反応をカードに書いて持ち寄り、ゲーム感覚で見せあい、感想を語りあった。カードを書くときに、相手が「いる」ことを強く意識する。これは手紙と似ている感覚だ。自分の「手書き」への反応を直で見ることも新鮮で、会話も弾んだ。。手書きは相手のことを考える自分のための機会であると再確認できる。「何気ない」会話は相手が見えて弾むものだ。漠然とした「あたたかさ」という手書きの魅力を言語化できた感覚を味わえた。
 

「メディア」へ落としこむ

我々は「相手のことを考えて書く」という楽しさを再認識させるメディアを作ると決めた。手書きの文字は汚い言葉が生まれにくい。手を動かす手間こそ、相手のことを思う時間を生み、文字が自分の所有物だと印象付ける。その責任感はSNSで欠けてしまったそれだ。その手書きの魅力に、会話を縦にも横にも広げ、流れを可視化できる「我々の望んだオンラインでの感想ノート」のエッセンスを合体させる。
そして、私たちはこの考えを踏まえたちいさなメディア、「ちゃちゃっとできんちゃっと」を制作した。これはLINEを模したボードゲームである。相手のことを考えて書いた手書きの会話カードを事前に作り、それをお互いにボード上に出して会話を成り立たせる。また、ボードを分岐させ縦方向の会話の流れだけではなく、複雑な会話の流れを可視化できるようにする。LINEを模しているのは、本来あるはずの、言葉を紡ぐ際に生まれる責任を再認識したいというSNSへのアンチテーゼだ。
実際遊んでみると、会話というのは相手を思う行為の積み重ねであると気付けた。さらにそれを手書きで丁寧に広げていく行為が心地よかった。痕跡として残るのもメディアの「好きな部分」そのものだった。「人の目の前で書く」という恥ずかしさを、ゲームというフォーマットで軽減した。このボードゲームは、SNSに慣れ親しんでいる世代を対象としている。これを活用し、現代に失われかけている手書きの良さを再認識することや、相手のことを考えてコミュニケーションを図るきっかけになることを期待している。