はじめに

加藤文俊
 

「的な」という表現

しばらく前のことだ。学生と一緒に、目黒駅のそばの喫茶店に入ったことがある。ぼくが学生時代からある、いわゆる昔ながらの店だ(残念ながら、いまはもうなくなってしまった)。
店主が注文を取りに来ると、学生は「コーヒーフロート的なのありますか?」とたずねた。店主は「コーヒーフロート的っていうのはよくわからないけど、コーヒーフロートならできるよ」と言った。もともと、とびきり愛想のいい店ではないし、店主もとくに機嫌が悪かったわけではない。ちょっと、学生をからかうつもりだったのかもしれない。ぼくは、このやりとりを見ながら、苦笑していた。メニューに載っていないとはいえ、店主が言うとおり、「コーヒーフロート的な」飲みものではなく、「コーヒーフロート」を注文するのが正しい。
 
ぼくたちは、日常生活のなかで、「的な」をしばしば口にする。「みたいな」も、よく使う。じつは、ぼくは「的な」や「みたいな」という言い方は、あまり好きではない。断定することなく、なんとなく疑問形のように(語尾が少し上がる感じで)言われることが多いからだろうか。ことばへの自信のなさを感じるのか。なんだかすっきりしないのだ。
だが、あらためて考えてみると、「的な」も「みたいな」も、例示しながら説明するための方法だ。比喩的、隠喩的な手続きだと言えるかもしれない。ことばにするのが難しいとき、あるいはまだことばさえあたえられていない〈何か〉に向き合うとき、ぼくたちは別の〈何か〉にたとえたり、見立てたりする。それは、じつは大切なことなのだ。ふだん軽い気持ちで口にしているが、あらためて「的な」や「みたいな」について考えてみることには意味がありそうだ。そう思った。
 
2015年の春、学生たちとともに、福岡までフィールドワークに出かけた。初日の晩は、地元の人びとと親睦を深めるという趣向で、バーベキューが企画された。小雨がぱらついていたが、ガゼボ(東屋)があったので、火を囲んで、飲んだり食べたりしながら楽しい時間を過ごした。ぼくは、ちょっと離れたところから、そのようすを写真に撮った。自画自讃ではあるものの、なかなかいい雰囲気だと思った。あたりは暗く、ガゼボの灯りに照らされて、学生たちの姿がくっきりと見えた。
ぼくは、撮ったばかりの写真を見せながら「エドワード・ホッパーみたいだ」と言った。言うまでもなく、状況は全然ちがう。だが、なんとなく『ナイトホークス(Nighthawks)』を思い出したのだ。反応は、ほとんどなかった。「エドワード・ホッパーみたいだ」というひと言は、その場にいた学生たちには通じなかった。
 
すでに述べたとおり、「的な」や「みたいな」は、〈何か〉を伝えるために、たとえたり見立てたりするときに役立つ。もし、学生たちが「エドワード・ホッパー」と『ナイトホークス』を知っていたら(そして、すぐさまそれを想い浮かべることができたなら)、ぼくのひと言に多少なりとも反応してくれたはずだ。もちろん、反応がなかったこと、あるいは「知らなかった」こと自体は、それほど気にする必要はない。ぼくも、知らないことがたくさんあるし、記憶があやふやなときも(ど忘れも)ある。だから、誰かの「的な」や「みたいな」に反応できないことは、大いにありうる。
興味ぶかいのは、「的な」や「みたいな」をきっかけに、ぼくたちが、同じ文脈や前提となる知識を共有することの意味を考えはじめるということだ。つまり、「的な」や「みたいな」は、ぼくたちの思考とコミュニケーションのありようにアプローチするための「入り口」になるかもしれないのだ。
 
「的な」や「みたいな」は、ひとつのスタイル、つまり「しかた(流儀)」の表れだと考えることができる。たとえばフィールドワークは、社会や文化を知るための態度や方法にかかわっている。教科書には、フィールドワークのすすめ方や注意すべき点など、より一般的なことが書かれている場合が多い。そうした基本的なことがらを学びつつ、先人たちのこれまでの試みを調べて理解を深めてみたい。先人たちの個性を映した「的な」や「みたいな」が、どのようにつくられたのかをじっくり見つめてみる。生い立ち、暮らしていたまち、友だちや師弟関係なども、「的な」や「みたいな」に影響をあたえているにちがいない。
それは、フィールドワーカーがどのように観察・記録をおこない、記述しようとしたのか、まさに、じぶんをとりまく世界を理解するための創意工夫を知る手がかりになるはずだ。文字、画、映像など、表現の媒体をえらぶことも、「的な」や「みたいな」を構成するのに欠かせないだろう。じぶん「的な」スタイルは何か。その問いは、じつは、自らの態度と方法を再確認するために必要なのだ。

 

May 15, 2015|上毛キャンプ http://camp.yaboten.net/entry/kogep
 
 

Edward Hopper [Public domain], via Wikimedia Commons | https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Nighthawks_by_Edward_Hopper_1942.jpg

的な・パロディ・あるある

コミュニケーションは、難しい。だから、ぼくたちは、いろいろな工夫をする。たとえば、日頃のやりとりのなかで、伝えたい「何か」をなじみのある〈モノ・コト〉にたとえたり、見立てたりすることによって、理解を促そうと試みる。この3か月ほど、「的な」(あるいは「みたいな」や「ふうな」)というキーワードを「入り口」にしながら、メディアと表現についてあれこれと考えてきた。「的な」は、ことばにしづらい「何か」について語り合うために必要な、ひとつの(隠喩的・例示的な)表現方法だと考えることができるからだ。
このプロジェクトをとおしてわかってきたのは、「的な」という表現によってコミュニケーションが促されるとき、「受け手」の読解レベルが試されるということだ。ぼくたちは、「的な」にかんするプレゼンテーションをくり返してきたが、そのなかで、質問やコメントをしづらいという感想をたびたび耳にした。そもそも、語りたい「何か」が、何にたとえられているのか、何に見立てられているのかを知らなければ、「的な」という表現は役に立たない。「何か」を伝えるための工夫や方法でありながら、前提となる知識を「受け手」が持ち合わせていないと、話が伝わらないのだ。
 
「パロディ」や「あるある」と呼ばれる表現も、同じような状況をもたらす。「パロディ」は、面白さはもちろんだが、上質な批判や風刺に役立つ表現だと言える。上質なものは、何が「パロディ」の対象になっているかがわかりやすく、かつその対象からのギャップや誇張があればこそ、その表現を味わうことができる。だが、言うまでもなく、「パロディ」の対象を知らなければ、それが「パロディ」であることにさえ気づくことができない。だから、「受け手」が知っているはずだという想定でえらばれる表現だ。
「あるある」も、同様だ。「あるある」を目にしたとき、じぶん自身の経験とすぐさま結びつけることができれば、(文字どおり「あるある!」と言いながら)頷くことができる。同意し、承認するのだ。つまり、「あるある」は、「内輪ネタ」のようなものだ。じぶんがその「ネタ」に反応している(反応できる)ことをとおして、ある種の仲間意識のようなものを実感するからだ。「パロディ」と同じように、「あるある」も、もともとの文脈や特徴的なセリフ(あるいは隠語)などを知らなければ、頷くことはできない。「パロディ」や「あるある」は、難しい表現だ。「受け手」の能力を、執拗に要求するのだ。


「KEEP CALM AND CARRY ON」は、第2次世界大戦の直前にイギリス政府がつくった宣伝用のポスターだ。(有事のときにも)平静に、ふだんどおりに過ごそうという、呼びかけだ。どうやら当時はあまり日の目を見なかったようだが、2000年に再発見され、そのデザインが注目されることになった。すでに著作権が切れていることから、複製のみならず、さまざまな転用が行われている。マグカップやTシャツなど、ネットを検索すると、その広がりを実感することができる。もちろん、そのままのデザインが転写されているばかりでなく、図柄や文言を変えたバリエーションがたくさんある。商品やサービスのプロモーション用のもの、自嘲的なネタもあれば「パロディ」もある。
とてもシンプルな構図とスローガンなので、もはやオリジナルの背景を知らなくても、そのまま「KEEP CALM…」という様式を採用すれば、おそらく、(ほぼ)誰でも「KEEP CALM的な」表現ができる。「どこかで見たことがある」と感じさせることができるなら、それだけで通用するのかもしれない。当初は想定していなかったはずだが、「KEEP CALM…」は、転用可能性が高いデザインとして流通しているのだ。
 
かくいうじぶんも、何度か試したことがある。2015年に「カレーキャラバン」のTシャツをつくるときには、王冠のシルエットをタージ・マハルのシルエットに変え、「CARRY」を「CURRY」に変えてみた。「キャリー」と「カリー」だから、字面も似ているし、読むときにもそれほどの不自然さはないはずだ。このTシャツは、なかなか好評だった。
2017年の秋に「うごけよつねに」というテーマで調査研究をすすめた際には、「Stay Mobile and Carry On」という標語を思いついた。ぼくたちが、つねに「動いているいうこと(オン・ザ・ムーブ)」をテーマにすすめたプロジェクトだ。いつでも「移動するための準備ができていること」、つまり、ある種のアイドリング状態を保つことこそが大事だと思いいたったので、「Stay Mobile」ということばを充てた。そしてあとは、オリジナルどおり「CARRY ON」にした。これだとcarry onのところは、「(そのまま)続ける」ということでもあるが、機内に持ち込む「キャリー・オン・ラゲッジ」のイメージにもつながる。
これらは、いずれも「KEEP CALM的な」ものだ。別の言い方をすると、この転用を試みることで、ぼく自身の思考が「KEEP CALM的」に誘導されたということになる。フォントや文字数、全体のレイアウトなどが、ひとつの〈ひな形〉としての役割を果たした。それは、「パロディ」や「語呂合わせ」で発想することだと言えるのかもしれない。


このプロセスをふり返りながら、あらためて気づいたことがある。それは、「的な」という表現を成り立たせるために、オリジナルの痕跡(らしさ)をどこまで残しておけばよいかという問題だ。「KEEP CALM…」の場合には、そのわかりやすい書き出しさえあれば、通じるように思える。もう少し一般的に、他のさまざまな表現へと広げて考えるとどうだろう。構図や配色を複製したり再現したりすれば、「的な」表現であることを理解してもらえるのか。あるいは、キーワードや語感をとおしてオリジナルを継承していることを伝えるのか。
「的な」という観点から、表現者たちの仕事に目を向けるとき、ぼくたちは、たんに〈ひな形〉のようなものを見出すだけではなく、どのような事情で、その表現方法がかたどられてきたのか、さらに広い文脈に位置づけながら考える必要がありそうだ。結局のところ、「的な」という個性は、それぞれの人間関係やコミュニケーションの所産として表れてくるのだろう。

 

5月のある日、帰ろうとして研究室の外に出たら「マグリットみたいな」風景が目の前に広がっていたので、思わず写真を撮った。夕暮れどき、タイミングが合えば、キャンパスのなかで「マグリットみたいな」風景に出会うことができる。ささやかな興奮だった。この場合も、マグリットの作品を知っていればこそ、「マグリットみたいな」という表現が活きる。マグリットと聞いてピンと来なければ、ぼくの想いは通じないだろう。
SOURCE 上: https://bigartshop.ru/painters/magritt-rene/imperiya-sveta-1 |下: Fujisawa, Kanagawa, Japan (May 10, 2018)
 

 

 

SOURCE 上: KEEP CALM AND CARRY ON https://ja.wikipedia.org/wiki/Keep_Calm_and_Carry_On#/media/File:Keep_Calm_and_Carry_On_Poster.svg |中: カレーキャラバン(2015)http://curry-caravan.net/ |下: うごけよつねに(Stay Mobile and Carry On)(2017)http://vanotica.net/smaco/

先人たちに学ぶ

「的な」というキーワードをとおして、メディアと表現の多様性について考えるにあたって、4人の先人たちの生きざまに着目することにした。学生たち(学部2〜3年生)は、3〜4人のグループに分かれて、それぞれ「的な」というテーマで人物について調べものをするところからスタートした。じつは、10年くらい前にも個性的な表現のあり方(そして、それを成り立たせたであろう文化的・社会的な文脈)を調べることを目標にして、同様の課題を出したことがあるのだが、当時は「的な」という観点で整理できていなかった。
今回は、吉田初三郎、成瀬巳喜男、タイガー立石、宮武外骨の4人をえらんだ(他に、今和次郎、村嶋歸之、堀井新治郎などについて調べたことがある)。以下では4人に触れながら、学生たちが、この課題にどのように向き合ったのかについて簡単に紹介しておこう。(それぞれの人物の略歴等については、別途まとめる予定)
 
まず、吉田初三郎(1884–1955)は、鳥瞰図絵師である。独特の鳥瞰図が魅力で、彼の画法・画風は、「歪み」や「誇張」など、ぼくたちの世界のとらえ方を考えるために役立つにちがいない。地図を読むためには、自らを対象化し、地図のなかにじぶんを位置づける能力が求められる。それは、ことなる視座を行き来するということだ。
いまでは、たとえばスマートフォンで地図を表示し、それを眺めながらまちを歩くことがめずらしくなくなった。あるいはGPSもドローンも、ぼくたちの移動の軌跡や位置(現在位置)にかんする理解を促す技術として、日常生活にとけ込みつつある。吉田初三郎を担当することになったグループは、彼のゆかりの地を訪ねたり、オリジナルの展示を鑑賞したりしつつ、最後はキャンパスを中心に据えた観光ガイドをつくった。
 
成瀬巳喜男(1905–1969)は、小津安二郎とほぼ同時代を生きた映画監督である。メディアと表現について考えるさいには、映像は欠かせない。時代の要請もあって、成瀬巳喜男は、かなりのハイペースで作品を世に送り出していた。その背景を考えると、おそらく彼なりの作法(もちろん、早く撮れればいいというわけではないが)があったにちがいない。映像を詳細に分析すれば、きっと何かがわかるだろう。
成瀬巳喜男を調べることになった3名は、たくさんの作品に触れながら、カットや構図、小物の使い方など、一連の作品に流れる「作風」を抽出することを試みた。その上で、「成瀬巳喜男的な」映画のつくり方に則った『ぷち』という題名の短いムービーを撮った。
 
そして、タイガー立石(1941–1998)からは、さまざまな素材や媒体のことについて学べると思った。ぼく自身は、20年近く前、大崎にある「O美術館」で展示を観てからタイガー立石のファンになった。以来、機会があるごとに図録や絵本、資料などを買うようにしている。彼は、人生の行路に応じて、取り扱う媒体や素材を変えながら表現活動を続けた。ひとりの表現者として、「的な」という観点で扱われることに抗う姿勢を表明していたのかもしれない。
グループのメンバーは、時代の流れをふまえつつ、彼自身の変化を追いかけようとした。カラースキームやコマ割りなど、いくつかの観点からタイガー立石の表現を性格づける要素を抽出し、「プロトタイプ」と称して、じぶんたちをタイガー立石の世界のなかに再現しようと試みた。「マニュアル」と呼ばれた冊子には、その実験の経過と春学期中におこなったプレゼンテーション資料が収録されている。
 
宮武外骨(1867–1955)は、ジャーナリストとして知られている。彼が手がけた『滑稽新聞』の復刻版は、しばらく前に手に入れた。その反骨精神、そして彼なりの正義の表明は、「ちいさなメディア」をつくるときに大いに参考にしたい。いまなら、zineのような特定少数のための出版物になるのだろうか。あるいはウェブのコンテンツや電子出版かもしれない。いずれにせよ、匿名をえらぶことなく、じぶんの意見をきちんと発信していく態度はとても大事だ。
過激な批評・批判は、パロディやことば遊びをとおして、あっけらかんと表現する。いつでも、代替的な表現の道筋がある(ありうる)ことを忘れずにいよう。このグループは、最終的には紙媒体をえらび、『草原新聞』を発行した。
 
4人の先人たちに学ぶ。それぞれの人生は、時代的には重複する部分もあるが、直接のつながりはないはずだ。マップ、映像、グラフィック、テキストと、一人ひとりのえらんだ媒体も表現方法もちがう。だがいずれも、既知の世界から、想像力と技法を駆使して、じぶんの世界を拡張してゆくための方法や態度を考えるきっかけになる。
なにより、それぞれの「的な」を読み解く過程は、とても楽しいものだった。今回の課題が、何らかの形で(多少なりとも)実践に結びつくことになれば、ぼくたちのフィールドワークは、もっといきいきとしたものになるだろう。🐸