的な桜丘

Tekina Sakuragaoka

的な桜丘

加藤文俊

春学期は「的な」というテーマで、4人の先人たち(吉田初三郎、成瀬巳喜男、タイガー立石、宮武外骨)の着想や表現方法について学んだ(参考:「的な」2018年度春学期)。マップ、映像、グラフィック、テキストというように、一人ひとりのえらんだ媒体や表現方法はことなる。だが、いずれも、既知の世界から、想像力と技法を駆使して、じぶんの世界を拡張してゆくための方法や態度を考えるのに役立つ。

秋学期のグループワーク(学部2・3年生)では、その「実践編」ともいうべき活動を試みた。「的な桜丘」は、じぶん(じぶんたち)の着想と表現のありようを考えるためのトレーニングだ。重要なのは、ぼくたちが向き合うのは「的な桜丘」であって、「桜丘的な」ではないという点だ。これは、ちょっとややこしいかもしれない。つまり、ぼくたちは、桜丘のまちを歩いて「桜丘らしい」と感じた〈モノ・コト〉を採集し、桜丘を性格づけようとしているわけではない。むしろ、桜丘をとおして、じぶん(じぶんたち)の感性や表現方法を発見、再発見することを目指すものだ。だから、極端に言えば、桜丘である必要はない。誰にでも、まち(あるいは、もう少し広い意味での「環境」)に反応する「きっかけ」のようなものがあるはずだ。まずは、その「きっかけ」に出会うことだ。
9月の末、「的な桜丘」というプロジェクトが本格的に動きはじめた。いま、あらためて最初のプレゼンテーションのタイトルを見ると、いくつかのグループは、すでに最初の段階で、活動内容の方向性を見つけていたことがわかる。だが、もちろん、すべてが順調だったわけでもない。こうしたプロジェクトは、紆余曲折、試行錯誤なしにはすすまない。じぶんの感性に素直に反応しようとすればするほど、まちは複雑でとらえにくいものとして表れるからだ。
 
ここで、それぞれのグループについて、簡単に紹介しておこう。毎学期、学年や加藤研での活動歴などを勘案しながらグループ編成を考えるのだが、「それいけ!サクラガオカ」は、偶然にも3名全員が「ふつうの人」とは思えない身体能力を持ち合わせていた。3人は、身体をまちになじませながら、桜丘を受けとめようと試みた。
「しがみつく!」は、まちの老舗にたびたび通いながら、桜丘に暮らす人・働く人に出会い、少しずつ近づいてゆく。そして、「何か」を還すことが、まちを理解するひとつの方法だということを確信する。
「もっと歩いて、もっと愛して」は、幾度も閉店に立ち会う機会をえた。店の「終わり方」について考えながら、ぼくたちがいだく閉店のイメージと、現実とのギャップについて問いかける。
「まぼたまfamily」は、桜丘を歩いていて、さまざまなにおいに反応した。たしかに、においは、まちの記憶を引き出す大切な役割を果たす。嗅覚を使いながら歩く、あたらしい桜丘の味わい方を提案している。
そして「ヤバイお土産屋さん」は、桜丘での体験を身に纏うという発想でスタートした。Tシャツの彩りは、いわゆる広告用ではなく、まちの記憶を刻んだものだ。ぼくたちは、桜丘とともに、自在に移動できる。
 
いずれのグループも、まちとのあたらしいかかわり方を提案している。まだ粗削りではあるが、ぼくたちが、それぞれの方法で、平成最後の秋・冬の桜丘に触れた記録だ。
このプロジェクトをすすめていた4か月ほどのあいだに、桜丘は大きく変化した。再開発の対象となるエリアは、すでに巨大な仮囲いの内側に隠れてしまった。やがて、取り壊しがはじまるのだろうか。いっぽうで、閉店ののち、すでに近所で新店舗をオープンさせている店があることも知った。まちは、絶え間なく動いているのだ。
 
『的な桜丘』は、2019年2月8日(金)〜10日(日)にかけて開催した「フィールドワーク展XV:ドリップ」(https://vanotica.net/fw1015/)で展示しました。