可能性の余白

田村 糸枝梨・坂本 彩夏・牧野 岳
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身近な場所での余白探し

「余白の理由」を考えるにあたり、まずは身近な場所で余白だと感じる場所を探すことにした。その前に、今の段階での「余白」のイメージを話しあった結果、「余白は何かが『ある』ことで存在する」という共通イメージができた。この考え方をもとに、メンバーそれぞれに親しみのある町田、自由が丘、学芸大学、そして余白がないイメージのある下北沢をフィールドに「余白」を探していった。
自由が丘では、野外で色々な物を売っているイベントスペースを見つけた。しかし、そこは普段、駐車場として使われていた。つまり、駐車場としての余白である場所を、イベントスペースとしての余白と捉えて活用していたのである。自由が丘に住むメンバーは駐車場だと知っているので「駐車場」に見えてしまうのだが、それ以外のメンバーには「イベントスペース」の場所としか認識できなかったのだ。
町田では、デパートの前の場所に人工芝のシートが敷かれていて、その上に座って休憩している人々を発見した。シートが敷かれていることで、なんでもないデパートの前の余白を、人々は「座ることができる場所」として感じていたのだ。余白に何かを加えることで、その余白の持つ意味や価値が変わり、さらには人々の振る舞いも変化していた。
これらの他にも4か所それぞれの場所において余白が感じられる場所を多く見つけた。全てのフィールドワークにおいて一番強く感じたことは、「余白としての意味を果たす基準は人それぞれにある」ということだった。つまり常に余白は存在しているが、それを認識できるかは個々の感性によるということである。自由が丘で見つけた余白は経験の違いによってメンバー毎で認識が異なり、町田で見つけた余白は、「芝生の上は座る場所」として座っている人により座るための余白となっていた。またこれに加えて、私たちが注目していた「余白」は全て空間に関わるものであったため、空間の余白について考えて行くようになった。

『仕掛学』からのヒント

このように様々な場所で「余白」のサンプルを集めたが、次の段階で迷走する期間が続いた。そして、あるメンバーが読んでいた『仕掛学』という本から我々はヒントを得ることになる。この本では、仕掛けとは行動を変えるきっかけになるものだと述べられていた。これをヒントに、私たちは余白に気づくための仕掛けを作れば、普段はその余白に気づけない多くの人たちが、それを感じ取ることができるようになるはずだという仮説をたてた。例えば、京都の祇園にある建物には、ゴミのポイ捨てを防ぐために神聖さの象徴である鳥居の小さなモチーフを取り付けている。これはゴミを捨てるための余白であった場所を「小さな鳥居」という仕掛けによって、神聖な雰囲気が漂う場所に変えて、人が簡単にゴミを捨てられないようにしている。町田の人工芝シートが敷かれていた場所もまた、人工芝シートという仕掛けがデパート前のスペースに施された結果、休憩場所としての余白へと変化したと考えることができる。
(つづく)

可能性の余白(2019)

つづきはブックレット『余白の理由』で。ブックレットは、2020年2月7日(金)〜9日(日)「フィールドワーク展XVI」(恵比寿・弘重ギャラリー)にて配布予定です。PDF版はこちら → https://vanotica.net/yohaku/yohaku.pdf

 
 
 

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