フィールドワーク展>フィールドワークより


境界線=BORDER(井野 薫)

少しの思い切りと勇気が、色々なことに気づかせてくれました。

桜木町は、私なりに馴染みのある場所でした。しかし、フィールドワークとして街を歩いていたときに、私はいつも同じ道ばかり通っていたことに気がつきま した。知らない場所へ入っていくことを恐がり、無意識のうちに避けていたのでした。このままではフィールドで何も見つける事ができない。そう焦る気持ちが背中を押したのか、思い切ってみなとみらいの反対側にある野毛を歩く事にしました。

地図を片手に野毛の街を歩いてゆくと、地図から予測したり感じたりする事ができない空間が見え隠れしていました。それは、自分の知らない土地に対する「怖い」という心理が引く境界線です。暗くなった野毛町の繁華街を通った時、無意識のうちに避けていた薄暗い小道がいくつもありました。

私は、自分がその場の感覚をもとに、自分が無意識に引いている境界線=BORDERを書き出しました。すると、観光マップでも道路地図でもない、私にとっての桜木町が見えてきました。今回このフィールドワークを通して気がついた、自分が怖いと思う所とそうでない所とのBORDERを、私の「箱」に詰 め込みました。


駐車場模様(加藤 文俊)

クルマは駐車場で眠ります。そして、駐車場はまちで眠ります。

おなじ場所にくり返し足をはこんでいると、いろいろなことに気づきます。だんだんと陽が短くなっていったように、少しずつ、まちも変わっていきました。数か月のあいだに、シャッターは何回も上げ下ろしされ、ネオンは何度も点いたり消えたりしました。何人ものひとが行き来して、何本ものボトルが空になり、壁にからまる蔦も少しは伸びたはずです。いつのまにか建物が壊されて、空き地が生まれていました。

線路のこちら側を、歩いてみることにしました。この正方形のエリアには、いくつもの駐車場がモザイクのように散らばっています。ライバル会社が、熾烈な陣取り合戦を繰りひろげているようにも見えます。周りを駐車場に囲まれたら、オセロのように反転してしまうかもしれません。容赦のない、駐車場模様です。100円パーキングの看板に、このまちの過去と未来を見たような気がしました。眠っていたクルマは、やがて出かけてゆきます。眠っていた駐車場には、いずれ何かが建てられるのでしょう。ある木曜日の晩、ぼくはこの駐車場模様を読み解いてみたいと考えたのでした…。


野毛の性格(金島 利明)

桜木町・野毛。そこには、みなとみらい21地区の様な洗練された美しさや華麗さはありません。様々なモノが雑然と入り混じった場が広がっています。”怖い・怪しい・おもしろい・古くさい・新鮮だ・懐かしい・もう近づきたくない・また来てみたい…”。

一歩足を踏み入れると、この様に人それぞれ違った印象を受けることでしょう。なぜなら、私たちは目にしたモノから発せられるメッセージを主観的に解釈し、反応していたからです。

私は、お店の『看板』に注目しました。お店の看板には名前、色、形状などを用いて、お店の『思い』が意図的に込められているはずです。そして、様々なメッセージを発しています。その組み合わせによって、お店は違ったモノを引き寄せていき、訪れた人に与える印象が、つまり、お店の『性格』が決められていくのです。

1つの街や地域といったコミュニティは、個々のお店が連なって成り立っています。そんなお店の『思い』が組み合わさった総体として、街の『性格』があります。様々な思いが対立し、葛藤に苦しみ抜いた結果として、より強い思いが表面に表れているのです。それは、私たち人間の性格となんら変わりありません。

「野毛くん、君ってどういう性格なんだろう?」

お店の看板たちを様々な角度から眺めていくことによって、この疑問の答えを探してみたいと思います。


スタート地点(かまたともこ)

『スタート地点』には、有益な情報が必要だ。ショッピングモールなど広くて数多くの店がある場所においては、初めて来た人のためにも、施設を全て紹介しなければならないし、見やすい地図も欠かせない。

クイーンズスクエアの『スタート地点』には、訪れた人の多くがまず立ち寄る。入り口からすぐのところに大きく構えてあり、壁面の案内図のほかに、フリーペーパーとしてフロアガイド、グルメ案内、イベント情報などが置かれている。

私のフィールドワークもここから始まる。注目していたのは、置かれているフロアガイドを、人々がどのように利用しているかということだ。ここでターゲットを見つけると、あとをつける。見た目から行動まで記録し、見失うまで追う。

また、ここでの定点観測の結果、来た人の24%が、ガイドを持っていくことが分かった。意外に少ないと感じた。あとをついていくと、彼らは目的を確認しながら、効率よく店を巡っていた。案内図だけを見ていく70%の人は、滞在時間も長く、割とのんびりだ。方法は、人それぞれ。ガイドは手に持ち歩けるので便利だし、位置さえ知りたいのなら案内図で階数を覚えればいい。

改めて、考えてみて欲しい。スタート地点、フロアガイドを、あなたがどう利用しているか。新しく気付くことがあるかもしれない。


桜木町の色色(菅 紘子)

『「色」という視点から、新しい桜木町の姿が見つけられないだろうか?』

これが、私のフィールドワークのスタートだった。

桜木町は全国でも有数の観光地。故に多くの人々は観光地としてある固定された桜木町のイメージを持っているのではないだろうか。私もその中の一人だった。しかし、そういった先入観を捨てひたすら「色」に注目して桜木町を観察する。そうして桜木町を色のふるいにかけることで、今まで気付かなかった新しい桜木町の姿が見えるのではないかと考えた。具体的には、毎回一つの色に注目して桜木町を観察する。赤と決めた日は視界に入った全ての赤に注目し、歩き回るという具合に。

すると・・・

赤から見える桜木町の姿がある。

青から見える桜木町の姿がある。

黄色から見える桜木町の姿がある。

不思議なことに、毎回違う色へと視点を変化させていくと、それに応じて違う桜木町の姿が顔を出した。それぞれの色が見せる桜木町とは一体どんなものなのか?7色(黄、紫、青、赤、茶、桃、橙、緑)分の視点から見た桜木町をお見せします。

色色な視点から見ることで、桜木町はイロイロな姿を見せた。

是非、この作品もイロイロな視点から見てみて下さい。


落書きのある風景、風景の中の落書き(小泉 健二)

落書きと聞いてどのようなものを思い浮かべるでしょうか?

今回フィールドワークに出かけた時、私はひとつの落書きを目にしました。それは非常にインパクトの強い、メッセージ性のある落書きでした。昨年の10月に東横線高架下の壁一面に描かれていたグラフィティアートを一掃した横浜市に対する怒りです。

このメッセージに対する解釈や市政はどうかという話はさておき、この不思議な媒体に興味を持った私は、桜木町にある落書きを採集することにしました。

街には至るところに多くの落書きが存在します。壁、電柱、ゴミ箱、トイレのドア、案内表示板。主張するように人目につくものから、気づかれないようにこっそりと描かれたもの。友情の印や愛の誓いであったり、または社会への憤りや存在の証明であったり。表現形式も文字から芸術性の高いイラストまで様々です。

世界最古の落書きはラスコーの洞窟の壁画といわれています。考古学者がそれを見て、当時の人々や社会をあれこれ想像したように、落書きを通してその街のことを想像してみませんか。


街が動く/作られる(斎藤 卓也)

野毛を何度目かに歩いたとき、そこらじゅうにガムテープがたくさん貼ってあることに気がつきました。

ガラス製のドアをとめているもの。張り紙をとめているもの。看板の破れをとめているもの。ポリバケツの蓋を頑丈にしているもの。無意味に付着して放置されたもの。またそれらの跡。

これらを見ているうちに、街中が小さな補修を繰り返していることに気がつきます。街が大きく変わることは稀ですが、人々の日常の中で「看板の破れを直そう」「ちょっとメニューをとめておこう」という小さな変化はしばしば起こります。そんなときに多く使われるのが、ガムテープなのでしょう。そしてそれらは、いつしか補修という意味ではなく、日常にまで落ち込んで、ついには家屋の一部として野毛の人々の生活に、街に、溶け込んでしまいます。街はそんな小さな変化の吸収を繰り返して、今ここにあるのです。

ぼくはそんなガムテープを集めます。古い街である野毛は、たくさんのガムテープがあります。

街が動く。それは何か新しい建物が建つわけでもなく、何かが取り壊されるわけでもなく、きっともっと小さなレベルで人々の日常と共に起こっていることなのです。

ガムテープに目を向けることで、小さな街の変化を見てみようと思います。


桜木町の自転車のたまり場(鹿野 枝里子)

きっかけは、1枚のケータイフォトでした。

桜木町のみなとみらい21地区。洗練された街並みが広がり、ショッピングや観光に訪れる多くのひとたちの姿があります。フィールドワークの初日、普段見慣れているはずのまちの中に、これまで気が付かなかったものを見つけました。まちのいたるところに多くの自転車やバイクがとまっているのです。自転車はまちで暮らすひとにとって欠かせないもの。観光の色が強い桜木町に入り込んだ自転車という生活感のあるものが作りだす光景に私は興味をひかれ、ある場所をケータイフォトに収めました。

それ以来、桜木町の自転車に注目し観察を続けてきました。自転車はどこも、歩道の脇にわりときちんと整列して並んでいます。しかし実は、とまっているところは駐輪場として認められた場所ではないのです。ある場所に自転車が集まることで駐輪場としての場が生まれます。この自転車のたまり場は絶えず変化しながら、続いていきます。ケータイフォトにおさめられたある自転車のたまり場のストーリーを追いながら、桜木町というまちを、自転車を通して見てみようと考えています。


レペゼン・ストラップ -ぶら下げる・持ち歩く・垣間見せる-(清水 愛子)

みなとみらいは、遊びに来る人と働く人の多い街です。人々はそれぞれの目的で街を歩いています。そんな一見バラバラにみえる人が共通して持っているものがあります。そう、「ケータイ」とそれに結ばれた「ストラップ」です。

この10年ほどの間、技術の進歩と共に、持ち歩ける『電話』としてのケータイの機能は日々進化を遂げています。しかし、持ち歩く『モノ』として、ケータイの形状はさほど変化していないように思います。

一方ストラップは、いつもそんな無機質なケータイに個性を加えてきました。気分や流行でつける種類はかわっても、常にケータイとペアになって街の風景に溶け込んできました。

情報を伝える身近なメディアであるケータイ、これをあえて『モノ』として見てみようと思います。そして、付属品であるストラップを主役に見た時、街を行き交う人々はストラップを付けることで、何を感じているのか、また、それをつけることにどんな意味を込めているのかを探ってみようと考えました。

フィールドワークを通じて見えてきたのは、ストラップをぶら下げると同時にいろんな顔の自分を持ち歩いている人々の姿でした。展示を通じて、私たちにとってストラップとは何なのか、更にはストラップから見えてくる『モノ』としてのケータイを感じ取っていただけたらと思います。


おもてなし(張 紗智)

「ようこそ」これがこの街から預かった伝言だ。

きっかけは一昨年下北沢を訪れたときだった。

下北沢では、店にお金を払わないで腰をおちつける場所を見つけられなかったが、この街では至るところで見つけられた。私としてはとてもありがたいことなのに、それがものすごい違和感だった。

それから約3ヶ月間イスを見てきた。すると、この街のイスのある共通点が見えてきた。実はほとんどのイスは木を基調としたもので、すぐ側には観葉植物やゴミ箱が置いてある。さらにエスカレーターや建物の壁に沿って置かれている。全てとは言えないがトイレの側にも多い。オシャレというよりクリーンな空間に見える。ちなみに、ゴミ箱にあやしげな袋を捨てたり近くであやしい行動をとったりするのは避けた方がよい。警備員が定期的に巡回に来てゴミ箱の中をのぞいているのだ。

この街は広く、訪れた人々をよく歩かせ疲れさせる。カフェで一杯とはいかない程度の小休止をしたいとき、買い物袋を整理したいとき、本を読みたいとき、雨に濡れた靴下をはきかえたいとき、視線の隅に入り込んだイスが私たちゲストの小さな要望に応えてくれる。これがこの街のささやかなおもてなしであり、私たちを歓迎する証拠なのである。


ヘアスタイルがまちをデザインする(バーゲル・ルミ)

髪型がどうしてもキマらないと、なんとなく冴えない一日だったり、逆に髪型が思いどおりにキマれば、なんとなくその日は気分がよかったり。それほど髪型は、わたしたちの心や生活と密接な関係にある。また、その人の印象や好み、性格の大部分をかたちづくる重要な手がかりである。そのような髪型に密着取材をすることで、わたしはヘアスタイルの可能性、地域性、社会性を追求してみた。

桜木町を中心に、カフェに張り込み、ひたすら利用者の髪型に注目した。対象が人(今回は女性のみ)であり、リスクが大きかったため、スケッチと正の字という伝統的な手法のみでデータを採集した。現代では、誰もが、いつでもどこでも、好きな髪型に変えることができ、望みどおりの自分をデザインし変身することができるが、昔はそうではなかった。例えばサザエさん(昭和)の時代では、社会層や年齢、性別ごとにそれ相応な髪型のマニュアルのようなものがあった。しかし、時代の変化と共に科学が進歩し、美容師の技術は進化し、女性は社会進出し、メディアは発展し、外来文化の影響も拡大し…、そのようにして、髪型の選択肢と可能性は多様化していった。

今、ヘアスタイルが、まちをデザインしている。


(原田 佳南子)

―一 人でいるとき、誰かといるとき、あなたは何が違いますか?

誰でも他人と関わらずに日々を過ごしている人はいません。同時に一人の時間も存在します。それぞれの自分を客観的に覗いてみたことはありますか?

文字にしてみると当たり前のことのようですが、人は一人のときの顔と誰かに見せる顔を使い分けています。ここで言う「顔」とは、顔面の表情だけでなく広くその人の象徴という意味まで含みます。

10月から週1回のフィールドワークでTULLYユs COFFEE横浜ランドマークタワー店に張り込みをし、そこで各々の時間を過ごす人々の観察を続けました。そして私は4回目のフィールドワークにして初めて、「一人の顔と人前での顔」が違うという事実を、言葉で表現することができました。

一人でいるあなたは本や雑誌を読んでいたり、何か書き物をしたり、あるいはケータイ電話と向き合っていることが多くありませんか。一方、誰かといるときのあなたは身体全体で会話を楽しんでいるでしょう。瞬きの回数比較的が多くなり、素敵な笑顔も見られます。

人は人に生かされているのだということがこんな小さなことから、このような場からも感じ取れます。

笑顔は伝染する。


野毛 - no - つながり(本田 圭)

私が初めて野毛に足を踏み入れたのが、去年の今頃でした。とある放送局に向かおうとして、歩いていました。「こっちかな? いや、こっちかな?」時間に余裕があったので、地図も見ずに、歩いていく私…。そして数時間後、私は道に迷っていました。

ここはどこ?

暗くて、怖くて、寂しい街…不安を残しつつも、なんとか私は目的地へと到着。一年後、私はフィールドワークのため、桜木町に来ました。そして気づけば、一年前に迷ったあの場所…そこが「野毛」だったのです…。

一見、わけの分からないもの。しかし、こうして見たら少しは分かるかも…。「何かがつながっている」と。それぞれのカードは、野毛の地区の構成物を表し、それぞれの線は、それらの構成物どうしの「つながり」を表す。適当に張られたように見える糸や色にも、それぞれ意味があるのです。

意味のない「つながり」なんて、存在しない。

私は今回、野毛というものに対して、「分解し、再構成する」という作業を行ってきました。一度、カードという無機質なものに置き換わったものたちですが、「私」が線をひくことによって、それぞれに再び意味が与えられるのです…。

まずは、私が生み出した「構成物」の断片を見てみてください。


自販機の「つぶやき」(まつたに のりこ)

自動販売機と聞いて、どんな種類を思い浮かべるだろうか。飲料、タバコ、お菓子、新聞…種類は色々ある。私は彼らを愛情こめて「自販機」と呼ぼう。

野毛という街で、私は数多くの自販機たちと出会った。なかでも、飲料の自販機はどこへ行っても顔をあわすことができた。普段、自販機というものの存在を意識することはないかもしれないが、この街で改めて意識し始めると、一言で自販機といってもそれぞれが全く異なる個体であることに気付かされる。そこで、それぞれ違った場所で、違った生き方を送る彼らは、一体どんなキモチでその場にたたずんでいるのだろうかと、ふと考えさせられた。

自販機はその役割や存在感から、新しくつくられてゆく街ではあまり姿を目にすることはない。街の在り方が変わってゆくことで、彼らの住処も変わってきているのだ。しかし、既に私たちの日常に存在する自販機たちは、普段は意識されていないけれど、いつの間にかいて当たり前の存在となっている。当たり前になっているからこそ、見えなくなってしまうものは多く、なくなって初めてその存在感の大きさというものに気付かされることもある。なくなってからではなく、手の届く場所にあるうちに、あなたの街にたたずむ彼らに改めて目を向けて欲しいと私は願う。


A WORLD FULL OF MESSAGES(渡辺 紀子)

私たちは外を歩くたび、あらゆる情報をキャッチしている。標識に案内されながら公衆トイレを見つけ、バスの側面に貼られた広告から新商品の存在を知り、ショーウィンドウに飾られたコートから季節感を感じている。私たちは日々、このようにサインやディスプレイからメッセージを読み取っている。

今回のフィールドワークでは普段、無意識に読み取っている情報やメッセージを意識し、写真に採集してみることにした。店に注目してみると、店員の服装から商品の展示方まで、ディスプレイにさまざまな工夫がされていた。私は桜木町にある3軒の雑貨店に焦点を絞り、その空間を見て、聞いて、感じながら3ヶ月半を過ごしてきた。その結果、お店に足を運ばなければ出会えない楽しさを見つけた。

私たちの世界はメッセージで溢れている。その一つ一つに意識を向けることで、新しい発見を味わえる。たこ焼きの匂いにつられて買うと、その味を再認識できる。街を行き交う人を見ていると、流行りを感じ取れる。私にとって今回のフィールドワークは、発見には終わりはないと知るきっかけとなった。見慣れた景色の中にも、これまで気付かなかった何かがまだまだ隠されている。


フィールドワーク展>フィールドワークより・〈場〉のチカラ プロジェクト・慶応大学環境情報学部 加藤文俊研究室