サワディー

井上涼・檜山永梨香・松浦李恵

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あやしい屋台              


高円寺周辺で変わった移動販売をしている人がいるという情報をもとに私たちは高円寺に向かった。それが、パッタイというタイ風焼きそばを売るお店の「Adwee Lalawee」だった。店主の牧野さんという男性は、長い髪を後ろで一つに結び、夏はもちろんのこと少し肌寒い春でもタンクトップを着ていた。茶色い肌にタンクトップ、薄いパンツという服装にタイの温度を感じさせられた。

「どうして高円寺でパッタイを売っているんですか?」と、初対面で唐突に質問した私に、牧野さんは少し戸惑いながらも答えてくれた。「単純に家から近いからですね。」

Adwee Lalaweeに住所は無い。定休日の店の前や公園、空きスペースなど、曜日によって出店する場所が変わる上、それが毎週変わらないとも限らないのだ。しかしどこでパッタイを作り始めてもすぐに常連さんが集まってきて話を弾ませていた。月曜日はBlack Mountain前、火曜日は阿佐ヶ谷沖縄倉庫前、水曜日は談話室ラタン前、金曜日はAMP Cafe前、日曜日は業務スーパーあたり、ほかの曜日は公園や周辺の空きスペースなどに店を出している。最近では高円寺界隈のお祭やイベントにもよく参加している。雨の日はアーケード商店街のなかにある沖縄倉庫の前で営業することが多い。ここは高円寺の自宅からすこし離れたところにあるが、人通りが多く売れ行きもいいのだという。 移動販売をはじめたころは、二十分おきに高円寺駅の周辺を移動していた。そのうちに出会った店主さんが閉店している時間に店先を貸してくれるようになったり、知人の紹介で店先を借りるようになったりなどしてだんだん今のように固定の場所が増えていった。

03.jpg【牧野さんの三輪自転車】移動販売と言うと車を想像しがちだが、この店の本体は三輪自転車だ。タイから帰国し、タイで好きになったパッタイを売ろうと思い立った時、昔アルバイトをしていた酒屋で使わなくなった自転車をちょうど譲ってくれることになった。ホームセンターなどで材料を揃え、約10万円で改装した。自転車の後方にコンロや棚など調理スペースがある。その上には屋根が被せてあり、お客さん用の日よけのパラソルやイスなどが積んである。拾い物の冷蔵庫や手作りの流し台などを使用しているが、保健所の規定にきちんと沿った作りになっている。そのままでは後方が重すぎて自転車がひっくり返ってしまうので、前かごの代わりに蓄電器を巻きつけてバランスを保っている。この蓄電器が夜の営業ではライトを点けるために活躍するのだ。

自宅から出店場所まで自転車を実際にこいで移動することは可能だが、重くて上りにくい坂道や、車の多い大通りでは降りて押しているという。

準備する材料は一日15食分程度で、それぞれを一食分ずつ袋に入れて保冷剤の入った冷蔵庫で保管している。パッタイの販売だけで生活を営むのは難しい。だからと言って儲けるためにそれ以上売るつもりはなく、人と話すのが好きだから続けているのだ、と牧野さんは言う。思い返せば彼は調理をしながら私に「気温がちょうどいいね」「遠くからわざわざありがとう」などと話しかけてくれていた。屋台の前にキャンプ用の椅子が置いてあるだけなのに、そこには落ち着ける空間が作られていた。 

つづけるために


2年半もの間、高円寺でパッタイを売り続けている牧野さんに移動販売の極意を聞いたところ、「アドバイスを受け流すこと」が大事だと教えてくれた。かき氷屋の方が売れるのに、もっと目立つ看板にした方がいいのに、などと言われることがあるが、自分の好きなことややりたいことを貫くことでモチベーションを保ち、お店が続けられるそうだ。

そして当たり前だけど、と前置きして「周りに迷惑をかけないこと」が大事だと言っていた。牧野さんは、私有地を借りたり、公共の場を使用したりしているため後片付けを徹底して行っている。細かい材料が一つも落ちていないか入念に確認してから撤収作業を静かに行う。

一度だけ、お店を閉めた後に牧野さんの家までついて行かせてもらったことがある。自転車が邪魔にならないように人通りの少ない小道を抜けていくとアパートに着き、そこに停車した。調味料や皿などの備品を家にしまってから、屋台を洗剤とスポンジで掃除し始めた。シンク、調理台、冷蔵庫と拭いていき、最後には屋台の骨組みまで磨いていた。かなり集中していたようだったが、この作業は毎日欠かさないそうだ。これも、好きなお店をずっと続けるための極意なのだろう。

約束をしない                 


牧野さんは、会う約束をしない。活動を報告しているAdwee Lalaweeのツイッターはほとんど「今日はここに居ます。」というメッセージと、出店場所の写真が投稿されるだけである。時間は特に決まっていない。天気や気分によって場所が変わることもある。実際に私たちが行った時にはもう店がそこにいなかったり、パッタイが売り切れていたりということが何度かあった。足を運んだのは3人の合計で10回。そのうち牧野さんに出会えたのは7回でパッタイを食べることが出来たのは四回である。

お店で出会った常連さんたちも、牧野さんを見つけて「あーいたいた。」と嬉しそうにやってくる人が多かった。売り切れてからお店にやって来た常連さんもいたが「もう終わっちゃったのかー」と笑っていて、どうやら落ち込んでいるようではなかった。日にち、時間そして場所をはっきりと約束していたら、そこにいなかったりパッタイが売り切れていたりしたときに、がっかりしてしまうだろう。それでもお客さんが失望しないのは、またいつかどこかに牧野さんが現れるはずだと期待しているからなのだろう。約束をしないことで、会えないことが悲しみではなく、会えた時の感動につながる。

爽やかな解散


牧野さんは、再会を大切にしている。特に新しく来たお客さんは、特徴をメモし、あだ名(お客さんには非公開)をつけて覚えることにしている。そして、再び来てくれた時、「前も来てくれましたよね。」と声をかける。牧野さんは、自分やお店の雰囲気が近づきがたいオーラを放っているにもかかわらず、それでもお店にきてくれることに喜びを感じている。

フィールドワークをしている中で、牧野さんが9月から奥さんと一緒にタイへ行くということがわかった。Adwee Lalaweeは今後、牧野さんの高校時代からの友人に引き継ぐらしい。ちょうど私たちがフィールドワークを始めた頃から、常連さんたちにはそのことを告げ、別れる準備を始めていたそうだ。確かにお店にくる常連らしきお客さんたちはみなタイに行くことを知っていて、その話題で盛り上がっていた。二代目の方と一緒に店に立つ日も多く、調理方法を教えたり常連さんに紹介したりと、着々と引き継ぎの準備を進めている。

そしてある日、店先を貸していたお店の社長さんと牧野さんがタイに行くことについて話をしている場に出会した。その際、社長は牧野さんに「また店先使っていいよ」「またこいよ」と声をかけていた。この交わしは、きっと約束ではなく別れの言葉に近いだろう。しかし、2人のこのやりとりは長い別れを惜しむような悲しいものではなく、非常にさっぱりとしてみえた。そんな心地よさと枯淡な別れが入り混じるシーンは、たしかに爽やかな解散であった。

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慶應義塾大学 加藤文俊研究室(2015年度春学期)