恵比寿の余白

Now you see it, now you don't

妄想の余白

安藤 あかね・牧野 岳・山田 琴乃
[先生の車の色、嫌いじゃないです]

抜け目ない恵比寿
恵比寿は未知の場所だった。どのメンバーも、恵比寿に馴染みのある人は一人もおらず、訪れたことも、人生のうち一、二回ほどしかなかった。大人の職場と遊び場の二つのイメージがある恵比寿は、今回のような課題がない限り、学生には縁のない場所だと思った。渋谷のようなカオスさはなく、整然としたオフィス街とお洒落なレストラン街が隔てられながら立ち並ぶ。なんとなく街を歩いていても、恵比寿ガーデンプレイスや代官山の方に吸い寄せられていってしまうのが不思議でしょうがなかった。
街を初めて歩いた時、街が計画的に作られている感じがした。本当にこんなオフィス街に、余白など存在するのだろうか。そのような不安を抱くほどに恵比寿に抜け目なさを感じた。けれども、恵比寿の「抜け目ない」という障害こそが、僕たちの「黒から白を見る」という技を生み出したのかもしれない。
 
コントロールと対抗
フィールドワークを始めた時、駅を中心に恵比寿を散策していた。飲食店のビルとビルの間の隙間や道端に置いてある謎の椅子、保険会社が管理している公園など、目につきやすいスペースを中心に観察していた。そんな中で気になったのが、駅から少しだけ離れた場所にある、非公認の喫煙所に人がたくさん集まっていた場所を目にしたことだった。一般的に、駅の近くの喫煙所は囲いを作ることで、分煙を徹底しなければならないというルールがある。それに対して、その非公認の喫煙所は、「この場所は非公認です。近所のクレーマーによる嫌がらせがあります。」という張り紙を自ら貼り、利用者に節度を持った喫煙を呼びかけていた。そこに、クレーマーやコントロールしたい自治体と喫煙者のファンとの板挟みになっている、その場所の悩みを感じられた。そこで初めに思いついた余白のコンセプトは、「コントロールと抗うもの」という対立構造だった。そのコンセプトを視点にすることで、街の新しい余白が見えてきた。例えば、植木鉢をどのくらい路上にはみだしても許されるのか探っているように見える家。落書きしないようにフェンスがつけられているのに、そのフェンスの上からスプレーで塗られてしまっている白い壁。対抗というコンセプトを意識するだけで、これまで気付くことのなかった街の余白に気付くことができるようになった。
 
白と黒
「対抗」という、街を見る条件を設定することで、街の新しい余白に気づけるようになった。けれども、それでもまだ、自分たちの進むべき方向がいまだに見えずにいた。そこで、よりわかりやすい街の見方を得るために、グループで手分けしながら、様々なジャンルの本を読んだ。そこで出会った、原研哉著『白』にある「白と黒」という表現が、自分たちの余白の見方に応用できそうなことを発見した。この「白と黒」という概念は、白が白い紙、黒が黒いペンと考えるとわかりやすい。白い紙があるからペンを探すのか、ペンがあるから白い紙を探すのか。この考え方は、自分たちのフィールドワークにも応用することができた。とりあえず街を歩いて見つけたスペースから、その裏になにがあるのか考えることが「白から黒を見る」。反対に、自分の状況を設定したり、変化させたりしてから、街のスペースを探すことが「黒から白を見る」である。これまでの私たちのフィールドワークは、とりあえず街を歩いてみて、見つけたスペースを見つめることで、なにがあるのか考えるという「白から黒」型のフィールドワークだった。けれども、前章の「対抗」のような設定で自分の視点を固定することで、これまで見えてこなかった余白が見えるようになったという「黒から白」型のフィールドワークの方が、抜け目なく整えられている恵比寿で余白を探すことに適していると感じた。「黒から白」型に可能性を感じるようになったことは良いものの、どのような黒を設定して街を歩けばいいのか。「対抗」の概念に飽きてきた私たちは、新しい「黒」になりうるアイデアを求めていた。
 
妄想
周りの他のグループのフィールドワークを見ていて、当時のどのグループも「黒から白」型のフィールドワークに切り替え始めていることを感じていた。ステッカーの貼れる場所から街を見ているグループがあれば、飲み物をおける台の代わりになる高さの場所を探しているグループもあった。どこのグループも、物を持って、街を見るというものが多いことが特徴的だった。他のグループとの違いを作るためにも、ものに依存しないフィールドワークの仕方を目指すことにした。
ある日、フィールドワークをしていて、街を歩いていた時にふと目線を上げると、恵比寿のビルの高さがまちまちであることに気づいた。その時、なぜかテトリスのようにその高さの不足を埋めることで、高さを揃えられたらいいなと頭の中で思っている自分に気がついた。街を歩いて、なにげなく見たスペースに想いを馳せて、勝手に脳内で妄想をして、見えている現実を補正している自分がそこにはいた。そこに注目した私たちは、自分が何の気なしに頭で考えている妄想を「黒」にして、街を見ることで、これまで見えてこなかった、新しい街の見方を獲得できるのではないかと考えた。初めに実践した妄想は、「テトリスでビルの高さを見る」と「巨人になって街のサイズを知る」というものだった。先に述べたように、「テトリスの見方」が使えるようになると、自然と目線が上がり、ビルの高さばかりを気にするようになるので、住宅街に足を運ぶことは少なくなった。一方、「巨人の見方」の時は、縦にも横にもスケールの大きな空間が気になるようになる。この場合はテトリスと異なり、、巨人のサイズが具体的にどれくらいか決めないと、現実的に街の余白に目を向けられないことに気がついた。そこで、妄想にさらなる詳細な設定やストーリーを付け足すことを試みる。

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音源:OtoLogic(https://otologic.jp

妄想の深掘り
ただ巨人の目線から街を見るといっても、具体的に巨人のサイズやその性格が分からないと、その巨人が余白をどう活用するか想像しにくい。そのため、詳細な設定を加えて、さらに余白を活用しているストーリーも足すことにした。「指名手配犯だったら」という妄想があったが、どんな犯罪を犯して、どんな性格で、体格はどれくらいといった情報を加えていくことで、その指名手配犯にしか見えてこない余白が見えてくるようになった。夜になると、指名手配犯が好きそうな暗い路地裏が見えるようになったり、他人の部屋が覗けそうなガラス張りの部屋は彼が好みそうな空間だと想像できた。妄想という「黒」を設定することで、これまで気に求めてこなかった街の場所が、突然「白」に見えてくる。妄想を通した、人間のステレオタイプを逆手にとることで、新しい街の余白に気づけるようになったことが、我々の特徴だと言えるはずだ。

「恵比寿の余白」は、2020年2月7日(金)〜9日(日)にかけて開催した「フィールドワーク展XVI:むずむず」(https://vanotica.net/fw1016/)で展示しました。