チャラ

Go Well Together

映画の中のチャラ

岩崎 はなえ・田村 糸枝梨・中田 江玲

[時は前髪でつかめ]

 

チャラな関係

今までの経験の中で「チャラ」を感じた出来事を出し合う中で、私たちは人と人の関係性の中で現れる「チャラ」について注目した。そして話し合う中で、「すべての人と人の関係性は交換によって成り立つ」「チャラな関係とは交換を行う主体が交換に満足している状態である」という二つの共通認識ができた。人は誰かに何かをもらい、与えて(=交換)関係を作る。この時に交換されるのは、モノだけでなく、行動や気持ちなども入る。「誰かにする行為」全てが交換の対象になる。交換があれば関係性があり、交換なしの関係性はない。私とコンビニの店員の関係も、ジュースを買って売るという交換があるからこそ成り立ち、私と友達の関係も相手を想って行動し合うという交換があるからこそ成り立つ。そして、交換から始まる関係性には、「チャラな関係」というものがある。交換を行う人が交換に満足していれば「チャラな関係」と呼べる。
共通認識に加え、チャラの性質についての共通感覚があった。交換には「チャラにしよう」と思って結果チャラになっていることと、そう思うことなく結果チャラになっていることがある。前者は見返りや等価交換を求めて合理的であるが、後者は等価な見返りを求めず、非合理的である。そのため、ひとまず「合理的チャラ(交換)」「非合理的チャラ(交換)」と呼び分けた。
 

映画の中でチャラな関係を探す

次に、グループの三人全員が映画好きということから、映画の中で描かれている人間関係を題材にして、チャラな関係について深ぼりすることにした。
まず、見たことがある映画の中でチャラな関係について考察できそうな映画を三本見た。その結果、「非合理的なチャラは双方向的な未来への期待を含む」という大きな発見を得た(図1)。既に交換されたモノ・コトの上に、「未来で行うであろう交換」が期待分として加算されて、交換に満足する(=チャラな関係になる)。例として、「マリッジ・ストーリー」という映画の中での夫婦の関係性が挙げられる。夫婦は関係が悪化し、泥沼裁判を行って今までの交換の見返りを求め合う。以前の円満な夫婦関係では、関係が続くと信じているからこそ、お互い惜しみなく、見返りを求めずに交換をしあった。ある一瞬での完了した交換だけではチャラではないかもしれないが、「未来でも交換が続く」という期待があるからこそ、チャラな関係で、円満な夫婦関係が築けていたのである。また、「一方的な未来の期待のみでは非合理的なチャラは成り立たない」ということにも気づいた。「マイ・マザー」という母親と子供の関係について描かれた映画にて、「自分は〇〇したけど、貴方はしていない」というセリフが多く出てきた。「相手も〇〇するし、自分も〇〇する」という双方向的な交換の期待ではなく、「相手にしてもらう」という一方的な期待だけしかお互い持っていなく、そのために、親子関係が悪化していた。
これらの気づきから、「チャラチャート」というチャラの観点からの関係性の場合分け図を作った(図2)。
 

映画フィールドワークの進め方

映画を使って人間関係を考察する「映画フィールドワーク」を続けた。進め方は、①適当に映画を決める、②三人でその映画を見る、③映画に出てくる関係性がチャラかチャラじゃない関係か、そしてその根拠となるシーンについてグループで話し合う、④話し合いの結果をスクラップボックスにまとめる、⑤チャラチャートを変更していく。このようにして31本の映画を見て、図3の最終版チャラチャートが完成した。

 

最終版チャラチャートまでの道のり

最終版チャラチャートの完成までに、新しい映画を見て修正が繰り返された。その道のりを説明していく。
最初のチャラチャートにあった「合理/非合理的な交換が行われる」が「チャラになるための交換レートがある/ない」に変更された。これは、交換を行う当事者の中に、何と何の交換でチャラになるのかという認識があるかないかということである。
映画を見進める中で、片方はチャラな関係、もう片方はチャラじゃない関係だと思っていそうな事例が出た。これを踏まえて、チャラチャートを主観的なものへと変更した。交換を行う当事者のうちの一人を主体にして、その主体にとってその関係性がチャラかチャラじゃないかを場合分けした図となった。これに伴い、文言を主観的なものに変え、「チャラになるための交換レートを認識している/していない」「自分から相手への未来への期待がある/ない」となった。
チャラチャートで場合分けされているように、同じチャラ/チャラじゃない関係の中で、性質の違うチャラ/チャラじゃない関係がある。場合分けされたそれらの関係に行きついたあとの行動にも傾向が見られたので、その傾向パターンを図に付け加えた。
 

過去の自分と今の自分の間でのチャラ

映画を見ていく中で、人が他人のためにする行為だけでなく、人が過去の自分のためにする行為の中でもチャラを感じられた。過去の自分のためにする行為とは、過去の自分が持った負い目を返済するための行為である。例えば、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」では、自分の障害が遺伝するとわかりながらも子供を産んだ母親が、なんとしてでも子供の障害を治すための手術を受けさせようとする。過去の自分が作った「子供に障害を継がせてしまった」という負い目をチャラにするために、今の自分が行動する。完全にチャラにはならなくても、チャラということにしてけじめをつける(=チャラっぽくする)。またこれには、何をすればチャラになるかという「返済レート」を認識できている場合と認識できていない場合がある。母親は、子供に手術を受けさせれば過去の自分の行動をチャラにできる、と返済レートを認識できている。一方、「万引き家族」では、子供の頃親に捨てられた男性が、同じ境遇にある子供の親の代わりになって一緒に生活し、惨めだった過去の自分をチャラにしようとする。〇〇をすればチャラになるという明確なゴールはなく、返済レートを認識できていないため、ひたすらチャラにするための行為を続ける。そのため、永遠に過去の自分をチャラにすることはできない。

チャラ的映画鑑賞術の解説書

31本の映画の考察から得られた「チャラな関係」についての気づきを他の人に伝えるために、チャラの観点から映画を見るための解説書を制作した。チャラチャートの解説、厳選した6本の映画のチャラの観点から見た登場人物の関係性についての考察が書かれ、付録として考察のためのワークシートがついている。厳選6本の映画を見た後に、この解説書を読みながら、映画を考察することで、チャラ的映画鑑賞術の知識を得られる。その後、同じように自分で他の映画を考察することで、その鑑賞術が身につく。今までとは違う観点から映画を見ることで、面白い発見もあるだろう。ぜひ、多くの人にこの解説書を読んでもらいたい。