「生活記録」の社会学
(書きかけです)
より具体的には、訪れた先々で、[歩く]→[考える]→[つくる]→[見せる]というプロセスを経ながら、人びととのコミュニケーションのあり方(そして、その「集まり」の構造)を体験的に学びます。あたえられた資源を評価し、かぎられた時間内にみずからの知恵や経験を動員して、課題に向き合います。
この一連のプロセスは、「キャンプ」として概念的に整理していますが、「キャンプ」で実践的に考えてみたいのは、たんなるフィールド調査の方法ではありません。従来からある〈問題解決〉(ビジネスモデル的発想)を志向したモデルではなく、〈関係変革〉(ボランティアモデル的関わり)を際立たせた、あたらしいアプローチを模索しています。より緩やかで、自律性を高めたかたちで生活者と向き合い、その〈生き様〉を描き出すことを目指します。つまるところ、ぼくたちは「調査者」という、特権的に位置づけられてきた立場をみずから放棄し、人びとの日常と「供に居る」立場へと向かうことになります。その動きこそが、変革のためのよき源泉になると考えているからです。
たとえば、最近、釜石市(岩手県)で実施したプロジェクトでは、岩手県立大学の学生たちとともに即時的にグループを組み、上記の[歩く]→[考える]→[つくる]→[見せる]というプロセスで、地域に暮らす人びとの日常生活の理解を試みました。
【2009年12月11日(金)〜13日(日)にかけて実施したフィールドワーク:ワークショップ全体をふり返るダイジェストビデオ(via YouTube)】
・プロジェクトの詳細は、http://vanotica.net/kamap1/にまとめる予定です(随時更新)。
ぼくたちの活動は、いわゆる「まちづくり」「地域づくり」「地域活性」といったテーマと無縁ではありません。でも、いわゆる「処方箋」づくりにはさほど関心がありません。そもそも「処方箋」などつくれるのだろうか、と問いかけることのほうが重要だと考えます。人びとにできるかぎり接近し、その強さと優しさに光を当てて、〈可視化〉するのです。そこまで行ければ、じゅうぶんです。あとは、人びとがみずからの暮らしを再定義し、そこから何かがはじまるはずです。それを、信じる…ということです。「キャンプ」は、このような人間観に根ざした学問をつくる試みとして位置づけることができます。
2010年春学期は、〈「生活記録」の社会学〉をテーマに、とくに、日常生活にあるさまざまな「記録」について考えてみます。
(2009-12-19:つづきを書きます。)