ぐるり調べ ::: はじめに

引き続き「ぐるり調べ」のこと。

ぐるりと円を描く

3月の東日本大震災の影響で、学事日程が大幅に変更されて、新学期がはじまった。フィールドワークという方法や態度を志す学徒たちは、おそらくは、すぐに東北のまちへと足をはこんだにちがいない。個人的なことだが、ぼくは、あのあと、しばらく何もできなかった。気を紛らすような感じで、年度末の報告書をつくったが、ふだんどおりに本を読むことも、文章を書くこともできなかった。
ゴールデンウィーク明けになって、少しずつ研究会(ゼミ)のリズムも、戻ってきた。二〇一〇年度の秋に引き続き、この春学期も「ぐるり調べ」をおこなうことにした。「ぐるり調べ」は、半径五〇〇メートルの円を描き、そのなかをくまなく歩くというものだ。前回は、「早稲田・慶應・東大ぐるり」だったので、いちおう六大学を見ておくことにして、「法政・明治・立教ぐるり調べ」をスタートさせた。三つのグループに分かれて、それぞれが、まちの個性を感じるためのフィールドワークに出かけた。

大学を見る

大学まちの調査をするとき、そもそも「大学まちとは」という問いかけが必要になる。実際に、この課題に取り組んだ学生たちは、それを問いながらまちを歩いていたはずだ。ギルバート・ライルは、『心の概念』のなかで、「カテゴリー錯誤」という概念を説明するために、つぎのような事例を示している。少し長くなるが、引用しよう。

オックスフォード大学やケンブリッジ大学を初めて訪れる外国人は、まず多くのカレッジ、図書館、運動場、博物館、各学部、事務局などに案内されるであろう。そこでその外国人は次のように尋ねる。「しかし、大学はいったいどこにあるのですか。私はカレッジのメンバーがどこに住み、事務職員がどこで仕事をし、科学者がどこで実験をしているかなどについては見せていただきました。しかし、あなたの大学のメンバーが居住し、仕事をしている大学そのものはまだ見せていただいておりません。」この訪問者に対しては、この場合、大学とは彼が見てきたカレッジや実験室や部局などと同類の別個の建物であるのではない、ということを説明しなければならない。まさに彼がすでに見てきたものすべてを組織する仕方が大学にほかならない。すなわち、それらのものを見て、さらにそれら相互の間の有機的結合が理解されたときに初めて彼は大学を見たということになるのである。彼の誤りは、クライスト・チャーチ、ボードリアン図書館、アシュモレー博物館、そして大学というように並列的に語ることができると考えた点にある。

この一節は、「カテゴリー錯誤」という問題を説明するための事例だが、こうした錯誤の起きやすさ自体が、「大学」あるいは「大学まち」の面白さだと考えることはできないないだろうか。

2010年度の秋学期に引き続き、この春も「ぐるり調べ」という、まちの「個性研究」の方法について考えてみることにした。今回は、法政、明治、立教の3大学の界隈を、学生たちが歩いた。

「法政・明治・立教 ぐるり調べ」慶應義塾大学 加藤文俊研究室(2011年度春学期)
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