YUZÜROCAR

ZÜCAでいこか

津田 ひかる・比留川 路乃・矢澤 咲子

 

「ありがとう」という言葉を、普段どれだけ口にできているのだろう。今回SMACOとして場づくりやモビリティを考えるとき、私たちは春学期のキーワードであった「究極のひととき」へと立ち戻った。「究極のひととき」は様々な状況で体験できる。しかしそのなかで、私たちは「ありがとう」の気持ちに着目した。
メンバー全員が帰国子女であり、「『ありがとう』をもっと言葉にするべきなのでは」という共通した疑問がはじまりであった。

「ありがとう」の気持ちとは、自分以外の誰かを想うことである。しかし、街中で「ありがとう」の言葉を耳にする機会はあまりないように思える。たとえば、バスを降りるときの運転手さんに、ドアを開けてくれた人に、エレベーターのボタンを押してくれた人に、感謝の言葉をどれほど口にしているだろう。「ありがとう」だけではない。「こんにちは、さようなら、ごめんなさい」も、なぜか言葉にしないときがある。これらの挨拶や感謝の言葉は、本来もっと当たり前のように溢れていてもいいはずだ。では、なぜ言葉にできない場面が多いのか。それはきっと、私たちが日常的な場面において、他者について考えることから離れてしまっているからだ。

バスが時刻表通りに動くことを当たり前だと思うこと、その当たり前のために気を配っている人がいること。「こんにちは、さようなら、ありがとう、ごめんなさい」といった小さな言葉の交わし合いは、他人への想像力によって行われる。このようなひとことの挨拶は、お互いの小さなつながりや日々の幸せを気づかせてくれる。だとすれば、私たちは他者に対してもっと想像力を働かせても良いのではないか。以上の問題意識から、私たちは「こんにちは、さようなら、ありがとう、ごめんなさい」が口に出せるきっかけづくりを目指すことにした。別の言い方をすると、「他人への想像力」を鍵にした活動である。
 
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