渋谷のプリズム
Shibuya Prisms

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バンドルのほどける瞬間

會田 太一・青木 日向子・酒井 彩花・篠原 彩乃
 

バンドルの結び目でゆらぐ

渋谷のイメージやそこでの時間の過ごし方を思い起こし、共有することから私たちは始まった。メンバーの多くにとって渋谷は、誰かと一緒にごはんを食べるなど、目的を持って赴く場所だった。他者と時間を供出し、互いのパスを重ねることでバンドルを作り、出来事の多くを積み重ねる。その途方もない連続性によって毎日が彩られる。渋谷での私たちの普段のふるまいもそのような見方が可能である。議論を進めるなかで、私たちの「会い方」には共通点が見つかった。それは、待ち合わせ場所周辺に余裕を持って到着し、1人の時間を過ごしている傾向があったり、解散後に1人で別の用事を入れ込んだりする点だ。全員が誰かと会う前後で、1人で何かをするというこだわりを持っていて、その時間がおびやかされることを嫌っていたし、確保のための工夫をそれぞれの方法で行っていた。そんな私たちが、もし待ち合わせの前後に偶然会っちゃったら?という気まずさへの不安から、グループ名を「アッチャッタラ」に決定した。「集合」と「解散」とは、それぞれのパスが集まりバンドルを形成し、そしてバンドルが解体される瞬間に当たる。私たちはそこで生まれるやりとりに関心があった。
 

解散する人びとのふるまい

それからは、渋谷に足を運びフィールドに身を浸しながらそれらのことについて考えることにした。渋谷駅から明治通りを恵比寿方面に歩いたり、松濤エリアをメンバーの組み合わせを変えて歩いたり、歩いたパスをSilentLogで記録したりと、私たちが何に興味を持つかという点に自覚的に活動を続けた。そんなある日、(偶然、10/29の「渋ハロ」が行われる日だった)私たちにヒントを与える出来事が起きた。普段はハチ公前で待ち合わせをしていたが、その日は人出があまりに多く、JRハチ公改札の隅で集まり、最終的に全員集まるのに30分を要した。その待ち時間に改札を眺めていると、集合と解散を繰り返す人びとの様子が散見された。これまでも、歩きながらそれらを見たいと思っていたが、一定の場所で行われることは少なく、十分なサンプルが集まりそうになかった。
この発見から、改札前で定点観測をする試みを行った。初めはカメラを見知らぬ人に向けることに抵抗があり、メモに文章で特徴を書き留めることにしたが、速い流れの中で記録しきれないことが多々あった。そこで、動画撮影ついて議論をした結果、大前提として私たちは社会調査者であり、さらにはたとえばスクランブル交差点のライブ中継カメラなど、知らないところで暴露されていることに対して抵抗感を持たないことを思い出した。そして、撮影した素材は成果物として公開しないことにした。映像では、場所や時間などが自動的に記録され、後から見返せる点でも優れており、私たちが必要とした情報が全て含まれていた。また、様々な路線の改札で観察を行うと、そこには差異があることがわかってきた。実際に私たちが観察をしたのは、田園都市線ハチ公改札・井の頭線・JRハチ公改札・東急宮益坂改札などである。それぞれの改札には空間的な特徴があり、それによって解散の質も変化していた。例えば、田園都市線改札は、薄暗くて天井が低い空間がひろがり、改札を抜けた先にすぐホームに向かう階段があるため、長い時間見送れない。対して、井の頭線改札は、白を基調とした明るい広々とした空間で、グループでもたむろするスペースが十分に確保されていた。また、電車に乗る直前まで見送れる構造になっており、ギリギリまで手を降り続ける人もいた。
 

解散と引き止めのせめぎ合い

様々な解散を記録し、ふり返るなかで、うまくことが進んでいる「爽やかな解散」とその逆の「ぎこちない解散」があることがわかった。そして、爽やかな解散は、グループ内での「解散の文法」が共有されているという発見があった。解散の文法とは、足の向き、スマホいじりなど、機微な動きが示す意味のことを指す。逆もしかりで、ぎこちない解散はそれらが噛み合わず、「解散しそう」という意味の伝達がうまく行われない。実際に、私たちが解散を観察できたのも、彼らが伝達しようとした意味を側から見て汲み取れていたからだ。同時に、「引き止めの文法」が存在していることにも着目した。改札方向に踏み出した足を遮るように身体を動かす、など複雑な駆け引きがそこにあった。
 

行われる駆け引き

そこで、どのようにして「解散しそう」が作り出され、私たちまで届いているのかを探るために、「解散しそう」なやりとりを分解、分析した。具体的には、やりとりを行う人びとを「見送るひと/見送られるひと」の構造でとらえるのではなく、一人ひとりの些細な身体動作に着目しなおした。たとえば、足の動きや方向、手の仕草などである。そうしたことで、次第に人びとの「解散しそう」は「帰りたそう」と「まだ一緒に居たそう」の駆け引きによって成り立っているように私たちには見えてきたのだ。そのように捉えると、バンドルの中では、駆け引きによって2人のパスがゆらいでいる。互いのパスが一定の間隔を保ったまま垂直に伸びていくのではなく、実はその中で、パスの距離が近づいたり離れたり、離れたパスをもう一方のパスが追いかけたりしながら、解散までの軌跡を残していると見ることができる。解散と引き止めのせめぎ合いの中で、ゆらぎが作られているのだ。
 

バンドルのほどけ方

引き続き記録を続けていたが、どのように活用するかについて私たちは迷っていた。スケッチ、映像集、ショートストーリーなど様々な案が出たが、先生が参考として提示してくださった映像(タイミングが絶妙にズレた解散をまとめた動画)を参考にし、解散に関する映像集を作成することにした。私たちの関心のある文法を表現するという点に立ち返り、身体のパーツを強調した映像を作ることが最も良い表現につながると考えたからだ。そこで、それぞれお気に入りの解散シーンを選び、台本を作成し実際に解散が行われた場所で忠実に再現をする動画を撮った。その後、6人の加藤研メンバーと本番撮影を行った。また、私たちが注目していた各改札の空間的な特徴については、別途ポストカードを作成した。内容としては改札の写真、ショートストーリー、改札の音声、改札の配置を入れ、手に取った人が臨場感を持てるようにした。