小田島純・西崎和希・檜山永梨香・和田悠佑


「いけずなまち」というテーマのもと、わたしたちはまず、一人一人がそれぞれの視点でまちを歩き、それぞれが思ういけずを探した。ベンチに着目したり、まちの様々な表示に着目したりして、各々が見つけたいけずを持ち寄り感想を共有した。その中には、皆が共通して抱いたある違和感があった。いけずを「作り出そうとしている」という違和感である。意図的に探し出されたいけずなものが、果たしてわたしたちが真に見いだそうとしているいけずの事例として適切なのかどうか、自信が持てなかったのだ。

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そこで、いけずという言葉の意味、「いじわるさ」ということに立ち戻って考えてみる事にした。まちにある、あるいは、まちから受けるいじわるというのは、そこまで明示的なものではない。というのも、まちはそこに来る人やそこに住む人が過ごしやすいように設計されるからである。特に、みなとみらいは、1987年より「みなとみらい21」事業として再開発が始められ、時代のニーズに合ったまちとして設計されている。そのため、基本的には、利用者が常に使いづらさを感じるような場所というのはほとんど残されていないはずだ。だとすると、まちにあるいじわるというものは、モノやコトそれ自体というより、それらとのコミュニケーションの中で発生するもの、すなわち、「通れない・使えない・わからない」などといった状況によって生じるもどかしさにあるのかもしれない。そして、その「もどかしさ」こそがいけずなのではないかという一つの考えに至った。フィールドワークをはじめたころ、わたしたちはまちのいけずを探そうとしていた。しかし、まちのいけずというものは「探す」ものではなく、「感じる」ものだったのだ。(つづく)

◉フルバージョンは、冊子『いけずなまち』で。(PDF版は9月下旬に公開予定です。)

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