ぎこちない距離

 Awkward Distance 

シールの知られざる役割

 

巌真 風夏・喜安 千香・山田 琴乃
[〜とナン]

 

エピソードと写真の共有

私たちはまず、各々が考える「ぎこちない距離」を捉えるために、「ぎこちなさ」を感じるエピソードと「距離」を感じる瞬間を収めた写真を互いに共有することから始めた。具体的な体験を共有することによって、どの要素に対してぎこちなさを感じたのかを議論し、それぞれに対する認識の理解を深めた。また、三人揃って写真好きであることを活かし、日常の中にある「距離」に目を向け、視覚的に記録することを目指した。
これらを並行して行う中で、二つの気づきがあった。一つ目は「ぎこちなさ」とは、明示されていない規範やモラルに対して他者との間に認識のズレを感じたときに生まれる感覚であるということ。また、それは必ずしも当事者のみが感じるものではなく、その現場を目撃した、第三者も感じられるものであるということ。二つ目は、私達三人が個人的にサービス業でアルバイトをしていることもあり、エピソードと写真の多くは、商業施設におけるものが多かったことである。主に新型コロナウィルスの感染拡大対策として、各地に設置されたパーテーションや貼り紙、接客ルールの変化に関するものが挙げられた。
以上の二つの気づきから、私達はサービス業でよく見られる「ぎこちない距離」に第三者的視点を持ちながら着目していくことにした。
 

「形式上の距離」

サービス業に関連する写真やエピソードを選別した上で、改めて三人で一つ一つの事象にまつわる情報の共有および意見交換を行った。例えば、挙げられたものの中で、とあるスーパーの袋詰め場の写真があった。その写真には、感染拡大対策として、新たに設置された透明のパーテーションが写っており、撮影者は「意味のない仕掛けだ」と説明した。たしかに、スーパーの袋詰め場において、見知らぬ人と会話することはほぼない。むしろ、このパーテーションの存在によって、ものを置ける机の面積が減り、「密」な状態が生まれやすくなっていた。その他にも、アルバイト先において、実質的な意味を果たせていない、感染拡大対策ルールや仕掛けの存在によって、来客を怒らせた話も挙がった。このように、「お客さんの安全のために」というおもてなし精神の元、人々の距離を保つために置かれている仕掛けの中で、実際にはその役割を果たせていないものが多くあることに気づいた。それらは、店側が現代社会の規範に従っていることを示すために設置したものであり、手段の目的化が発生しているのではないかと考えた。その結果、客同士の物理的な距離が空くどころか、店と客の間の心理的距離を広げてしまっているのではないかと考えた。私たちはこれらの仕掛けによって生まれた物理的、あるいは心理的距離を「形式上の距離」と呼び、その仕掛けが放つメッセージに着目していくことにした。
 

「距離を取らせる」仕掛け

私たちはあらゆる種類の「距離を取らせる仕掛け」を把握するために、藤沢付近に二つ、みなとみらい付近に三つの、計五つの異なる複合商業施設にて再びカメラを手に「仕掛けの採集」を行った。このワークは三日間に渡って実施され、合計五百店舗以上を見て回ることができた。集められた写真を見返す中で、「距離を取らせる仕掛け」は、主に三種類あることに気づいた。一つ目は、建物の入り口やエレベーター付近の壁に貼られた、「できるだけ二メートル以上の距離を取ってください」などと記された貼り紙である。二つ目は椅子やテーブルなどの置き方や配置によって、物理的に立ち入りを不可能にしている仕掛けである。そして三つ目が、入店や会計待ちの列内で「一定の間隔」を空けさせるために、立ち位置を示す目印である床に貼られた足型のロゴやテープである。私たちはこの中でも、店の種類問わず、最も多くみられた三つ目の仕掛けを「足元シール」と呼び、それに着目していくことにした。多くのシールは床面積が足りず、二メートル間隔に置かれていない上、客に無視されており、「形式上の距離」を取らせる仕掛けの代表的なものであると考えた。しかし、足元シール一つとっても、よく見ると店によってデザインはもちろん、配置や、文字情報、受け取られる印象やメッセージもかなり異なり、個性的であることに気づいた。例えば、ダイソン社の黒い店内フロアには、白いテープが定規のメモリのように貼られており、その洗練されたシンプルかつ分かりやすいデザイン性に惹きつけられ感心した。また、アニメグッズを売るショップでは、そのキャラクターの足跡の絵がシールにデザインされており、世界観に入り込みやすく、ワクワク感を覚えた。
 

足元シールと客の間のコミュニケーション

私たちは、これらの足元シールと向き合う中で、店独自の趣向を凝らした工夫に小さな感動を覚えた。そして、この観察から、シールと客の間になんらかのコミュニケーションが生まれていると確信した。しかし、これまでの観察では、シール単体に着目していたため、メッセージを受け取る側の客が観察対象から外れていた。シールと客との間に生まれるコミュニケーションを比較するため、改めて、各々が選んだシールとそれに対する客の視線の送り方や立つ位置を三十分間観察した。「ぎこちなさ」は認識のズレによって生じるものという前提のもと、シールと客の間に生まれている、あるいはシールを介して客同士の間に生まれている「ぎこちない距離」を探ることを目指した。
 

新たな役割の発見

私たちはこれまで足元シール自体に注目し、その配置やデザインに目を向けていた。しかし、この観察を通して、よりマクロ的な視点を持ち、シールは、本来意図して置かれた「距離を取らせる」以外の役割を持っていることに気づいた。それは「距離」を感じさせないことであり、主に二つのパターンがある。一つは、シールの存在が強く認識されている場合だ。この場合、客が工夫に富んだシールを発見し、思いがけない高揚感を抱くことによって、シールが厳密に二メートル間隔でなくても、その距離に対して生じうるぎこちない感覚を解消している。もう一つは、反対にシールの存在が強く認識されていない場合である。この時、シールは本来無形である空間を「とるべき距離」として可視化することによって、そこに生じうる認識のズレの発生を阻止し、感じうるぎこちなさの解消を行っていると考えた。このように、「ぎこちない距離」を感じさせる余地を与えない役割を果たしている仕掛けは、シールの他にも、様々な形で存在している。例えば、レジ周りに置かれている商品棚やメニュー表は、人々の注意を惹きつける力があり、並んでいる当人たちに前後の人との距離を意識させない。つまり、シールやその他の仕掛けが存在しなければ、解釈の幅がある「距離」というものに、人々の注意が注がれ、「ぎこちなさ」を感じるのではないかと考えた。その意味で、足元シールと客の間には関係性が生まれており、「ぎこちない距離」を意識させないものとしての存在意義がある。

 
 
 
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