ぎこちない距離

 Awkward Distance 

見過ごしている距離

 

岩崎 はなえ・兼井 佑大・牧野 渚
[はなとワシとなぎさちゃ]

 

概念と呼称と記録

私たちは「ぎこちない距離」というテーマから、まずは「ぎこちない」という言葉の解釈を共有した。「もどかしい」「気まずい」などの似たような言葉との違いを理解していくことで「ぎこちない」という言葉をふちどろうとした。そして人との距離や会話の間のような物理的なぎこちなさが原因となって「もどかしい」や「気まずい」などの感情が引き起こされるのではないかという仮説を立てた。ぎこちなさについて考えている中で敬語の使い方や他人の呼び方について話はうつっていった。そこで〈はなとワシとなぎさちゃ〉という幼少期の一人称を組み合わせたグループ名に決まった。しかし「もどかしい」や「気まずい」という言葉は心理的な要素であるからこそ曖昧であり、それをとらえることは難しかった。具体的な切り口をもたずに概念は語ることができず、かつ距離というキーワードにも近づくことができていなかった。
そこで言葉の意味を考えることから一度離れ、具体的な何かによって距離が遮られることでぎこちなさを感じた経験を話し合った。その中で、テーブル席で食事をしていた際に友人との間が仕切りで遮られていたことにより話が噛み合わなかったというエピソードがあがった。これをきっかけに、COVID-19の感染拡大ととも日常的に目にする機会が増えた、アクリル板などの仕切りに焦点を当てた。このことについて考える中で、空間を隔てることによって心地よいと感じさせる仕切りも存在していたことに気がついた。ぎこちない仕切りと心地よい仕切りの違いをより理解するため、コミュニケーションが活発に行われる飲食店での仕切りを記録する方針に定まった。仕切りの大きさや位置、与える雰囲気などについての詳細な記述を、できるだけ多く記録した。しかし、楽しく食事をしているときに、このような細やかな記録をすることが私たちの負担になっていった。
 

フィールドを決めて仕切り直し

私たちはコミュニケーションが遮られる場面を想定して飲食店という括りを設けていたが、そもそも仕切りという存在が私たちのコミュニケーションに関わるものであるため、飲食店に限らずあらゆる仕切りをとらえることにした。感染拡大前は仕切りは空間を「隔てる」ために存在していた。しかし、現在は感染リスクを減らし安全に「近づく」ことができるように設置されている。そのためどちらも記録することで、コミュニケーションのあり方が大きく変容した現在の私たちを理解する手助けになると考えた。
仕切りを記録する悉皆調査を行う上で、今和次郎が行った「ぐるり調べ」を参考に、半径五〇〇メートルの範囲にフィールドを定めた。今年度のフィールドワーク展の会場となる予定だったギャラリーを中心に円を描くと、大型商業施設や遊園地、オフィス街などが含まれていて、多様なまち並みがみられることがわかった。あらゆる生活スタイルに適応した仕切りがみられることを期待し、このエリアを私たちのフィールドに決めた。
実際にフィールドを歩いてみると、徒歩での調査にほどよい距離であることがわかった。そして仕切りを一つひとつみていくと、ありとあらゆる仕切りに囲まれていることに気がついた。コミュニケーションを遮るものであるにも関わらず、思いがけなく日常的になった仕切りを、安全のためだと受け入れて見慣れていたことがわかった。これらは、情勢の変化と共に減っていき、忘れられていくことが予想される。そのため、この時代に確実にあったものとして記録することに意義を感じるようになった。

仕切りをとらえる

フィールドワークでは、定めた範囲の中(一階に限る)にある全ての仕切りを写真で記録し個数を調べた。そしてタグ付けを行うことで整理した。それぞれの仕切りが設置されているお店や位置など、様々な特徴を書き出していくことで次第に自分たちなりの愛称で呼びはじめた。大きなテーブルを個別の空間に仕切るものは〈チョコレートボックス型〉、上から吊り下げるビニールカーテンのことは〈すだれ式〉と名付けた。
繰り返しフィールドに行くことで人々の仕切りの捉え方にも変化が見られた。各店舗が感染対策を行いはじめた頃の仕切りは、一時的なものとして簡易的に作られていた。しかし私たちがフィールドワークを行った昨年十二月には、感染対策のお願いやポイントカードの案内を貼り付けたり、クリスマスの時期には仕切りにデコレーションを施したりするなど、お店づくりの一環として利用していく決意が感じられた。
近づくための仕切りと隔てるための仕切り、両方の役割を持ち合わせている仕切りも発見できた。個人のスペースを確保することでくつろぎを演出しているカフェでは、もともと設置していた仕切りが感染対策としても役立つことで、新たな仕切りは設置されていなかった。一方で、感染対策のために不透明の仕切りを置いたことで視界が遮られ、自習室のような空間ができているカフェも存在した。
また、感染防止のために設置されている仕切りをみていくと、違和感を覚える仕切りがいくつかあった。例えば、私たちで〈つんつるてん〉と名付けた、幅が五センチメートルほどと極端に細いため明らかに効果が期待できないものがあげられる。想定以上に使用期間が長いためか、ところどころ破れていたりシワによって可視性が失われているものもみられた。このように、存在意義を疑問に思ってぎこちなさを感じることも多々あった。しかし、さまざまな仕切りを集めている私たちにはそれがクスッと笑えたため、〈ファニー〉というタグでまとめた。ぎこちなさは必ずしもネガティヴな感情ではなく、愛おしさのきっかけにもなることがわかった。
このように、仕切りが人と人を隔てるものという枠組みではなく、個性を持った存在として浮かび上がってきた。
 

写真からスケッチへ

フィールドでの記録をするために撮影した写真をスケッチに起こすことで、仕切りとそれが隔てる人々を抽出し情報の取捨選択をした。別々の場所にあった仕切りを私たちが集約させることで、存在を認識できるようにした。
 オンラインでの展示方法を考えたとき、見る人が自身でフィルタリングできる展示物が最適だと考えた。設置されている位置や形状ごとに分類ができる機能や、各種類の総数が自動的に算出できるようにした。このような仕組みを通すことで、視点を切り替えながら仕切りをみることができる。
今回注目した仕切りのように、コミュニケーションへの影響を省みることなく受け入れてしまっている存在は他にもあることが想像される。私たちの取り組みが、それらに目を向けるきっかけになってほしい。
いつの間にか変えられてしまわないように立ち止まることを忘れずにいたい。

 
 
 
 
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