ぎこちない距離

 Awkward Distance 

ぎこちなさを巡るドライブ

 

芝辻 匠・堤 飛鳥・中田 早紀・中田 江玲
[ちゃんぽんず]

 

物理的距離と心理的距離

私たちはまず「ぎこちない距離」をどのように測ることができるか考えた。それぞれの日常生活や高校時代の話を振り返る中で、普段私たちが距離を認識するときは一般的な長さを表す単位(cmなど)ではなく、近くにある物で感覚的に把握しているのではないかという話が出た。例えばエスカレータにて前の人との距離を50cmと表すのではなく、段差一段分の間隔と表す方が距離を捉えやすい。そのため、私たちは長さを表す単位以外(物の数や時間など)によって距離を観察しようと試みた。
 

心理的距離を様々な単位で表してみる

一週間、メンバーそれぞれが日常生活の中で距離を意識した瞬間に写真やテキストでその状況を共有した。そこでは、ご飯に誘ってもらった先輩との距離は迷う服二パターン分、起床してからキッチンに向かうまでの距離は二時間などのエピソードを共有した。
話し合う中で、このフィールドワークでは「ぎこちない瞬間」を捉えにくいという難点が浮上した。そもそも、ぎこちないと感じた瞬間には記録や共有をすることが難しい状況が多く、逆に記録可能な状況ではぎこちなさを感じることがあまりなかったのだ。
 

自分たちを観察対象に

これをふまえて、心理的距離を物や時間で測ることは継続しつつ、主観的かつ客観的に観察・記録できる方法を考えた。そこで目をつけたのが「ドライブ」というフィールドであった。車という閉鎖された特殊な空間の中で、走行距離や時間に伴い四人の関係性に変化が見られるのではないかと私たちは考えた。さらに車内は、換気やマスク着用などに気を付ければ新型コロナウイルス感染予防の観点で比較的安全なフィールドワークの環境である。これらの理由から私たちはドライブをフィールドとして定め、四人それぞれが被験者としてコミュニケーションをとり、観察者としてそれを分析・考察するという新たな方法を構築した。
 

いざドライブへ

初回のドライブは、横浜を出発地とし目的地を高尾山に定めた。私たちは、車内の様子をスマートフォンのカメラで録画し続け、その映像を後から定量的・定性的に振り返ることにした。振り返りでは、それぞれがメンバーの一人に着目して、窓の外を見た回数、沈黙の長さなどの記録を行った。それに併せて、ドライブ中の印象的な出来事や、映像を見返す中で気になったことなども書き出した。その後、オンラインで集まり、四人で映像を見返しながら振り返りの共有、ぎこちない距離の考察を行った。しかし、ドライブ中のぎこちない瞬間を発見することはできたものの、何がそのぎこちなさを生み出す要因となっていたのかが捉え切れなかった。
二回目のドライブでは目的地を高尾山から箱根に変更し、ぎこちなさの要因を探るために、一定時間ごとにルーレットを回し、それによって車内BGMの有無、会話の禁止、話し手を特定の人に強制するなどの制限を付けた。しかし、制限を加えることによって自然なコミュニケーションの流れが中断され、ドライブ自体にも、それを観察することにも面白みが喪失された。
そこで私たちは、制限を設けていなかった一回目のドライブを再現することに決めた。できるだけ同じ条件に揃えることで、関係性の変化を比較しやすいものにした。最終的に計五回のドライブを行い、それらを記録した映像からぎこちない距離について考えた。
 

映像を振り返って

それぞれの主観を共有し、四人でドライブ映像を振り返ったことで、車内の空間だけでは感じることのなかったぎこちなさが見えてきた。例えば、高尾山に到着し運転席と助手席に座るメンバーが駐車場を探しているときに、後部座席に座っていたメンバーの一人がその二人に話しかけ無視をされるというシーンがあった。このとき、その当事者たちはぎこちなさを感じていなかったが、それを客観的に見ている残りの一人は非常にぎこちなさを感じていた。そして、そのシーンを後から振り返った際には、四人それぞれがその瞬間にぎこちなさを感じた。つまり、ぎこちなさを感じるパターンには三種類あり、①その場で当事者として、②その場で目撃者として、③振り返り時に観察者として、ぎこちなさを感じることがわかった。
 

ドライブというフィールド

改めて考えると車内というシチュエーションは非常にぎこちない。誰かと長時間、密室空間にいることを強制され、かつ座席に座る位置によって役割が発生する。一般的にドライブは仲良くなる手段の一つとして使われることがしばしばある。一方でドライブがぎこちない空間であるということもまた認識されている。普段私たちは何気なくドライブに誘ったり誘われたりするが、仲良くなるためにあえてぎこちない状況を選んでいるということを考えると非常に興味深い。
なぜドライブがぎこちない状況であるかを考えたとき、それはドライブが曖昧だった関係性を明確にするからであると私たちは考えた。ドライブの中では、それぞれが運転手や助手席などの役割を担う。例えば助手席に座っている場合、運転をサポートしながら、前後での会話を繋ぐ役割がある。このような役割の果たし方によって、互いの立ち位置や振る舞い方を把握し、それによって関係性をはっきりと認識できるようになる。また、私たちが回数を重ねる度に感じていた関係性の変化は、ドライブという行為による変化ではなく、各ドライブ間に起きた関係性の変化を表したものであるとわかった。つまり、ドライブが果たしていたのは、私たちの距離を測る装置としての役割であった。
 

細かすぎて伝わらないドライブ

五回目のドライブを終え、四人が共通して感じた特徴的な変化の一つに、沈黙が気にならなくなったことがある。それぞれの会話の間や振る舞いの癖を知ったことで、無理に間を埋めようとする必要がなくなった。この変化は「仲良くなった」というより「慣れた」という言葉がしっくりくる。このことから、ぎこちなさが生じなくなったのは心理的距離の変化によるものではないことがわかった。
 この「慣れ」という関係性の変化は他者からは捉えづらい。しかし、私たちの関係性は確実に変化し続けている。客観的に見ると変わっていないように見える関係性であっても、ドライブを経験した四人だからこそ見える見慣れた景色の中での些細な変化、微妙な関係性の調整が存在した。
ドライブを繰り返す中で、車内での私たちの様子に、また関係性にどのような変化があったのかを映像作品にて表現することにした。同じシーンや場所を重ねて見ることで初めて気づく些細な変化。細かすぎて伝わらないかもしれない些細な変化を捉えた映像から、見た人はどのようなぎこちなさに気づくだろうか。

 
 
 
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