ぎこちない距離

 Awkward Distance 

距離感を意識するぎこちなさ

 

安藤 あかね・入江 桜子・田村 糸枝梨
[ホタルの休日]

 

私たちの共通点

「ぎこちない距離」について考えるにあたって、春学期のステイホーム生活について振り返ると「ステイホーム生活に苦を感じることはなく、それどころか居心地よく感じていた」という共通点に気付いた。家にいる時間が多くなり、人と直接会う機会が少なく、オンラインでのコミュニケーションが多くなるなど、生活様式に変化が出た。研究会で他の人に話を聞くと、この変化に居心地の悪さを感じた人は多かったようだが、私たちは順応していた。
 

コミュニケーション/ライフスタイルの好き嫌い

ステイホーム生活を心地よく感じる性質は何か他の場面でも現れているのではと、ステイホーム以前の生活についても話した。コミュニケーションスタイルやライフスタイルに関連した好き嫌いを共有し合い、また、それぞれの好き嫌いの共通点と相違点も探した。
共通点として、夜更かしが好き、化粧を面倒臭く感じる、一人〇〇が好きということなどが挙げられた。相違点の例として、zoomをはじめとするオンラインでのビデオコミュニケーションについてが挙げられた。「ラクではあるけど、対面の方がやりやすい」という意見と「雰囲気が伝わらない分、何も気にすることなく自分の思う通りに発言できて良い」という意見に分かれた。共通点からは、一人での行動をラクに思う傾向が共通して強いことを再認識した。相違点からは、メンバーの中でも人との距離についての考え方は少しずつ違うかもしれないという気づきを得た。
 

おしゃべりワーク

自分たちの生活について喋ることで、人との距離の取り方についての気づきを多く発見できた。それを踏まえ「三人各々の生活の仕方についておしゃべりをし、そこから三人の人との距離の取り方について考える。」というおしゃべりワークをすることにした。
ワークをするにあたり、これまで盛り上がった話の中から、私たちの人との距離の取り方についての特徴が掴めそうな動作をトピックとして選んだ。「化粧をする」「食事をとる」「寝る」という三つの日常的な動作について、それぞれ一時間ほど、zoomにてお互いの顔を見ながらお喋りをした。
「化粧をする」では、どのような状況によって化粧は変わるのかまたは化粧をしなくなるのか、などを話した。安藤と入江は周りの目が化粧をする基準だが、田村は基本的には自分の気分を上げることが基準であるという違いを発見した。
他のトピックでも、自分たちの人との距離の取り方を考える上で重要になりそうな発見はあった。しかし、もっとリラックスできる形で話した方が盛り上がり、予想しなかった発見があるのではないか。日時もトピックも決めずそのとき集まった人だけで自由に話すと、面白い話が引き出されるのではないか。この考えのもと、おしゃべりワークの形を変え、Discord(ボイスチャットのソフトウェア)で自由に集まり、「距離に関係ありそうなこと」という緩い縛りで、自分の好きな環境の中でダラダラと喋ることにした。
 

グループ内での距離感

Discordを使っての自由なおしゃべりワークの記録は、データとして見やすいよう、「誰がいつどのような内容のことで話しているか」をタイムラインにまとめた。話し相手や話す内容によって変わる振る舞いや言動についての特徴を探し、グループ内でのメンバー同士の距離感の違いについても見ることにした。その違いは、自分たちの人との距離の取り方を考えることにも何か活かせるのではと考えたためである。
計七回、八時間半のDiscordでのおしゃべりワークでは、意外なトピックが自分たちの人との距離の取り方を語る上で重要かもしれない、という気づきを得た。しかし「おしゃべり」であるため深い話はできず、体験談のレベルで話が終わっていた。そこで、話した中でも盛り上がったトピックについて、zoomで顔を合わせてじっくり話し合い、「ぎこちない距離」とは何なのかという自分たちなりの考えを出すために、おしゃべりの内容の整理と抽象化を行った。
 

距離を考えてしまうこと自体がぎこちない

今までのおしゃべりをまとめた結果、誰かとの関係において距離感を認識すること自体がぎこちないのではないかと考えるようになった。
人間関係において距離感というのは、心と心の距離のことであり、また関係性(=関係の度合い)と同義であると私たちは考える。「この人との関係性はこういう感じだから…」と考えて関係性(=距離感)を意識するからこそ、その関係性に合わせて振る舞いを変えなければと感じてしまう。この一連の流れが、ぎこちない。居心地が良い環境や関係では、距離感を意識することは無いだろう。
また、距離感を認識するトリガーは人によって違う。入江は「人の視線がある」ことでその人との距離感を意識し、化粧を変えたり、zoomでの振る舞いをオフラインとは変えたりする。安藤は「人からの反応がある」ことによって人との距離感を意識する。田村の場合は、そもそも人との距離感を感じないよう物事の捉え方を変えてしまう。「化粧は自分のためにやっている」と思うことで化粧を誰かとの距離感に左右されないものにする。「見えない・聞こえないものは私には関係ない」と思うことで、オンラインでも人を気にせず自分の思う通りに発言する。人の存在の何かがトリガーになることを察知して、トリガーそのものさえも避ける。このように人がいる・見える・聞こえる状態であると距離感を意識してしまう私たちは、物理的に人が遠くて誰かとの距離感を感じる余地もないステイホーム生活を心地よく感じたのであろう。
以上の考え方は、ステイホームやテレワークをぎこちないと感じた人にもあてはめて説明できる。彼らは、人と物理的に離れたことによって「人との距離が遠くなった。寂しい。」と思うようになった。距離感を意識しはじめて、ぎこちなさを感じているのである。安藤は「人からの反応がある」というのが距離感を認識するトリガーであったが、彼らにとってそれは「物理的に人との距離が離れたことによって人からの反応が薄れた」ことだったのだろう。
 

グループ内の距離感を考えたことのぎこちなさ

「距離感を認識することがぎこちない」という考えのもと、おしゃべりワークでグループ内の距離感を意識しようとしたことを考えると、この作業は自らのぎこちなさを生み出していたと言える。自分たちのおしゃべりが関係性のもと分析されているのを客観的に見るのは面白かったが、「関係性はこれだから、この人は喋る量が少ないのかな…」と考えてしまうきっかけにもなった。変に関係性と自分の振る舞いを意識してしまうこの状況は、ぎこちないと言えるだろう。なので、作成したタイムラインはぎこちなさを生んでいる象徴として残しておくことにする。

 

 
 
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