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小田 文太郎・白井 朔太郎・黄 才殷・菱谷 光・宮下 理来

 

偏見を超えてゆけ

皆さんは、路上飲みにどのようなイメージをお持ちだろうか。おそらく、ポイ捨てや騒音など、マイナスイメージの方が強いだろう。しかし、一旦大学生の言い分も聞いて欲しい。私たちはコロナ禍に成人を迎えた。飲食店が閉鎖や時短営業されている中で、路上飲みが当たり前の選択肢として提示されていた。むしろ、私たちが今疑問に思うべきは、コロナ禍が明けた今でも、なぜ若者は路上飲みがやめられないかである。それは、路上飲みの持つ特有の魅力があるからではないか。開放感や財布への優しさなどが想像しやすいが、当事者としては「解散のしやすさ」こそ、特筆すべき特徴だと考えていた。
屋内での飲み会は、解散するのが難しい。場の雰囲気に逆らうことにストレスを感じてしまう。一方で、路上飲みはそもそも長時間同じ場所にいるには適さない。街をぶらつき、座れそうな場所に座り、また飽きたらどこかに歩き出す。いつでも帰ろうと思えば帰れる。その柔軟さは、ストレスの少ない解散を誘発する。そんな気を遣わずに済む飲み会の魅力に、コロナ禍で図らずとも気付かされた。コロナの収束とともに廃れるには、勿体無い文化だ。
その思いから、私たちのグループは、路上飲みの良い点のみを享受する、つまり「上品な路上飲み」を目標にしたプロジェクトを掲げた。路上飲みの魅力の言語化を目指し、缶ビール片手に街の遊牧民を自称する。名付けて「飲まど」である。

場所を超えてゆけ

路上飲みの質を左右するのは、場所の良し悪しではないかという問いのもとに、路上飲みに適した場所を実際に探した。 
調査で心がけたのは、必ず飲み物を持って街を歩くこと。つまり、身体を変えて見慣れた街を新しい視点でとらえることを試みた。他人の目が気になりにくく、迷惑もかけにくい、居心地の良い場所を探す。そこで「上品な路上飲み」を実践してみる。そして、その場所の性質を言語化し、マップを作成してまとめる。どのような場所が路上飲みスポットとして優れているか、そして他の場所でも再現性があるのか、考察した。
しかし、調査する中で考え方に変化が生まれた。そのきっかけは、回を重ねるにつれて「場所へのこだわりを超えた盛り上がり」を見せる場面が増えてきたことである。少々居心地の悪い場所でも、会話が盛り上がれば、長時間そこに留まることができてしまう。路上飲みにおいて、場所のもたらす力は、二の次なのかもしれない。路上飲みについて深く考えるためには、やはり実際に「本気の」路上飲みをするところから始めるしかない、と考えを改めた。
 
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