ホーム | パクチーが食卓にのぼるまで

磯野 恵美・篠原 彩乃 

 

ひそかに共食へと向かうパクチー

グループワークが本格的に動きだした5月中旬、私たちの共食はすでにひそかに始まっていた。3月15日に共同研究室の大掃除をして、その際に見つけたパクチーの種を研究室裏にあったプランターに蒔いた。そして、5月11日(木)の2限のあとに初めてパクチーを収穫し、先生と3人でフォーを調理して食べたのだった。はじめ私たちは、自分たちで育てたパクチーが実際に食卓にのぼることや、パクチーの成長を共有することによって共食の場がもたらされたように思えることに対して関心を抱いていた。
 

共食の場をつくるたくさんのモノ

一杯のフォーの写真を眺めていると、たった一杯のフォーが出来上がるためにじつにたくさんのモノが関与していることやそのモノが共食の場にたどり着くまでに関わった人びとの存在が膨大な広がりをもって連想された。そこで、1回目の共食を構成していた要素を列挙しその経路を考えてみることにした。たとえば、割り箸は、いつどこで誰が買ったのか、どうやってここまで運ばれてきたのか、どこで加工されたのか、どれくらい時間がかかったかなどについて、付箋に書き出して模造紙に貼り付けた。この試みからは、共食の場がたくさんのモノの存在によって成り立っていることや、それぞれのモノがさまざまな道のりを経て、食卓で合流していることが見えてきた。そして、共食の場のみならず、私たちが誰かと時空間を共にする場でのふるまいや行為が、あらゆるモノの存在によっても形づくられているという理解がもたらされた。

春学期の木曜2限のあと

5月11日以降も私たちの共食は続いた。それは決まって木曜日の2限のあとに共同研究室で行われ、春学期をとおして計9回の共食を重ねた。この「春学期の木曜2限のあと」という時間について、先学期のグループワーク「渋谷のプリズム」(冊子またはウェブ(https://vanotica.net/shibuya_prisms/)を参照のこと)をとおして学んだ時間地理学の見地から紐解いてみたい。時間地理学とは、地理学者のトルステン・ヘーゲルストランドが提唱した考え方であり、人びとの生活を時間と空間の両側面からとらえることによって、私たちの生活が無数の時間と空間の調整によって成り立っていることを浮き彫りにしようとする分野である。たとえば、共食の場は、一人ひとりが途切れることなく描き続ける行動の経路であるパスが、複数人分同じ時空間に存在し束ねられている(「バンドルを形成している」と表現する)場であると理解できる。
大学の特徴的な時間割が教授や学生のパスを強く形づくるといえるが、木曜2限の授業によるバンドルのなごりが「春学期の木曜2限のあと」のバンドル形成を支えていたと考えられる。また、授業によるバンドルが解かれたあとのパスを定めずにいたことによるパスの柔軟性が、授業後に再びバンドルができる余白をつくったのだと感じている。9回の共食は学期中の大学によって繰り返される時間割によって支えられたのだといえる。
さらに、時間地理学のバンドルは、ひと同士のパスの結びつきだけでなく、モノや場所との結びつきについても含むという理解から、共食の場にいる私たちだけでなく、調理器具や調理環境までもを含んで、共食までの過程ととらえるべきだ。これは先に述べた、あらゆる場がさまざまなモノによって成り立っていることの視座とも合致する。実際に私たち3人の共食ルーティンができつつあった頃は、食材がないまま共食を試みようとして、足りない食材を調達しに、コンビニに走ってもらったこともあった。
 
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